「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

「人生を棒に振るつもり」で生きる

おはようございます^^

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南直哉著『禅僧が教える 心が楽になる生き方』より以下の部分を引用します。

少々長いですが読んでいただけると幸いです。

禅僧が教える心がラクになる生き方

禅僧が教える心がラクになる生き方

  • 作者:南 直哉
  • 発売日: 2017/07/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

「本当の自分」、「ありのままの自分」とは一見何のとらわれもなく心のままに生きられる、ひとつの理想像のように思えるかもしれません。

しかし、誰が、何を基準に、その自分が「本当」で「ありのまま」だと判定するのでしょうか。

私にはそれがよくわかりません。

結局は、「本当の自分」「ありのままの自分」になるために、記憶と「他人の承認」の中をさまよいながら、「自分はこれでいいのだろうか」と葛藤しているだけになるでしょう。

(中略)

今見ていると、どんな人も非常に力が入っています。

「よりよい人生を生きなければならない」と思い込み、「人に勝たねばいけない」と焦っている。

「得をしたい」「ほめられたい」という欲もある。

だから力んで、仕事に、余暇の充実にとがんばってしまう。

スケジュール帳がびっしり埋まっていないと不安になってしまう。

さぞくるしいだろうから、力を抜いて「大したことのない自分」を生きればいいのにと思います。

(中略)

しかし本当のことを言えば、無理をすることもない。

大抵のことはやり過ごしてもいい話なのです。

死ぬ間際になれば、大したことは残っていません。今ジタバタしている問題について思い出したりもしないでしょう。

人生の最後に一生を振り返った時、おそらく「多少の満足」と「いくつか後悔」が残るのが普通です。

人生を”棒に振る”くらいの気持ちで生きれば、ちょうどいいのです。

するとラクに生きられます。そしてラクに死ぬことができます。

 僕たちは生まれたときからほぼ全員の人が「将来は何になりたいか?」ときかれ、「1度きりの人生をやりたいことをして過ごさなければならない!」、そして「人生は充実させてなんぼだ!」という半ば強迫めいた思い込みを植え付けられます。

実際幼少期のころになりたかった自分、つきたかった職業についている人はほんの一握りでしょう。

 

そしてよりたちが悪いのが、人生を充実させなければ!と充実している他者と比較し、自分の人生を否定し、焦り、自己嫌悪に陥ることです。

もともと充実しているかどうかなんてのはその人次第であり、周りがとやかく言うことでは決してありません。

それなのに現代は「これが充実している人の人生ばい!」てな感じで充実している人のイメージ像を社会側が勝手にこしらえているんですよね。

そしてその充実している人生になっていない人はダメで(もちろん直接的に表すことはありませんが間接的に)、その人生には価値がないと思わせてしまうんですね。

 

僕はこんな現代だからこそ引用した南さんの言葉の「人生を”棒に振る”くらいの気持ちで生きれば、ちょうどいいのです」という言葉にすごく救いに近いものを感じたんです。

人生なんてのは、ゆるく、棒に振るくらいが楽に生きるにはちょうどいいんだなと。

とくに僕は根詰めて何かをやろうとすると視野が急激に狭くなってしまうのでこのような気持ちにゆとりを持たせてくれる言葉の効果は大きいです。

 

そして「人生を棒に振ってもいいや」というのはある種の覚悟だとも僕は思うんですね。

人生を充実させなければ!と力んでいると失敗を恐れるあまり、それこそ自分のやりたいことに挑戦をすることができません。

失敗してもいい、もっというと失敗は必要経費くらいにとらえてガンガン挑戦したほうが僕は楽しいです。

別にそれが大きいことであろうと、小さいことであろうとそんなことは関係ありません。

自分がやりたいことをただやる。それだけです。

それをする上でも、ま!最悪人生棒に振ってもいっかあ!と割り切れるのは挑戦するためにはすごく楽になれる思いだと思います。

 

楽に生きることが僕は楽しさにつながると思っているので、これからもゆるく生きていきたいと思います。

人生を棒に振るくらいのつもりで生きると、楽になれます。

 

今日のブログは以上です。

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^

人見知りあるある!!

おはようございます^^

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 俺は人見知りたい!

僕は人見知りです。ええ人見知りです。

人前に立ってパフォーマンスをすることは大好きです。しかし人見知りです。

人前に立ってパフォーマンスをすることは大好きです。しかし人見知りです。

大切なことなので2回言いました。

特に1対1でご飯なんか行ったときなんか人見知り爆発して超絶に疲れます。

もちろん気心知れた友達などといくのは楽しいです。

お互いそんなにまだ知らない状態での食事は人見知り爆発します。

 

今回は人見知りの僕が感じる人見知りあるあるをいくつか紹介したいと思います。

少しでも共感してもらえれば幸いです^^

①一人は好き。でも独りは嫌い。

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一人の時間は人見知りの人間にとっては空気と同じくらい必須です。

一人の時間がないと人見知りは干からびてしまいます。

しかしだからといって独りにはなりたくありません。

一人の時間はたくさんあっても、きちんと自分が安心できる居場所があり、つながりがある、この状態も同時に必須なわけです。

このことは人見知りではなくすべての人に当てはまることだとは思いますが、人見知りはより居場所を望む気持ちが強固なのです。

 

僕も大学入りたての頃、ひきこもりがいきなりそれはそれはいろいろな活動やボランティア、サークルに参加したものだから体がぶっ壊れるかと思いました。

当然壊れました。

そのとき「もう全部やめてやる!」ってことで全部やめました。

すると今度はとにかくつながり、居場所がほしくてたまらなくなるのです。

 

自分にあった居場所を見つけることは人見知りの人にとっては何よりもの優先事項なのです。

②一人でどこにでも行ける

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これはあるあるというよりも、僕が同じく「自分は人見知り」という人の印象を受けてのものです。

人見知りと言う人はわりと一人でもどこでも行きます。

知り合いに一人で焼肉に行けるという人も数人いますが、その全員がまぎれもなく人見知りです。

 

僕自身一人で結構どこでも行きます。

一人温泉、一人ファミレス、一人プール、一人映画、一人旅、一人散髪(そりゃそうか)

ただ僕もまだ一人カラオケと一人焼肉はできません。

なぜかこの2つはハードルが高いというよりも、一人でしてまで行くところなのかなと思ってしまうんです。

とはいえ、焼肉は好きなのでいつか一人焼肉行きます。

 

そして何より一人旅の中でも人見知りの人ほどバックパッカーで旅している人が多いなという印象です。

僕も経験者なのでわかるのですが、なんでしょうかね、一人でワクワクを追い求めるあの感覚。

パリピにはおそらくわからないだろうなあ。

③会話中の沈黙をやけに気にする。

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どんなに仲が良く、馬が合うと言っても終始会話が続くということはないです。

必ずいつかは沈黙の時が訪れます。

このときが人見知りにとってはとにかく気まずいんですよね。

とにかく次の話を探そうと必死になるんです。

が、たいていそうやって焦って探したところでいい話題は見つからないので余計に焦ります。

 

ですので僕は沈黙が訪れたら、とにかくお水を飲むことにしています。

お水を飲み意識をいったん水に向けてリセットさせるんです。

こうするとまた新しい話題が・・・・でてくるときもあります。

出てこなければ何杯でも飲んでしまい、結果トイレに逃げ込みます。

 

ただ逆に言うとこの沈黙をさして気にしないような間柄になればそこそこいい関係なんじゃないのかなと僕は判断しています。

④人の目を見て話せない

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ほんとに見れません。こればっかりは。

どうしようもないです。はい。

もし見ようと努めてしまうと、今度は逆に見つめすぎてものすごく変な感じになります。

つまり、程よい感じで相手の目を見てコミュニケーションを取ることができないということですね。

発達障害ASDを持たれる方にもこの傾向が強いみたいです。

僕もASD、そしてADHDです。

 

僕なりの対策としましては、相手の鼻か、口当たりを見るってことです。

きちんと相手の方へ視線は投げているけれど、目は見ていないのでそこまで負担も大きくないです。

かなり効果ありなので試してみてください。

 

 

今日のブログは以上です。

人見知り万歳!

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^

 

 

結果の出ない中でどれだけ続けられるかが大切~tigubagu流継続の仕方3選~

おはようございます^^

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先日Twitterで将棋師の羽生善治さんの名言がタイムラインに流れてきていてすごく感銘を受けたので引用します。

 

何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。

報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。

 続けることの難しさを物語っています。

僕自身羽生さんのことは「将棋がめちゃくちゃ強い人!」程度の知識しかないのですが、それでもあそこまで強くなる過程にはきっと報われないこと、つらい経験っていうのが山ほどあったと思います。

それでも継続し、情熱、気力、モチベーションを絶やさなかったからこそ芽が出たのでしょう。

 

僕もこのブログ含め、ツイキャスや漫才、コント、就労支援でのプログラミングの勉強といろいろと続けていることはあります。

どれもこれといった結果はまっだまだ出ていません。

当然不安になるときもあります。

それでもブログは150日毎日更新を続けているし、キャスは最近100回目を突破しました。

コント(一人コント)に関しては細々とですがやり続けて8年ほどになります。

今回結果の出ない中で僕なりになぜ続けてこれたのかを3つほど紹介したいと思います。

①考えずに、とにかくやり続けて習慣にしてしまう。

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なんだそれは!💦と思われるかもしれませんね笑

しかしいろいろと僕も試してみた結果、

「とりあえず最初は何も考えずやり続けて、さっさと習慣化する」

が一番効果があることに気づきました。

 

ブログに関して言うならば、1本1本のクオリティは高いけども本数はほとんどない、よりも1本のクオリティはさほど高くはないけれど、記事数がものすごく多い、の方が続けるには効果抜群です。

そもそもブログに限った話ですが半年、1年と続けてようやく、という感じなんですね。

それなら僕は続ける方に、いかに続けられるかにコミットして毎日ブログ継続をしています。

 

そして勉強なんかもそうですが、受験勉強、資格の勉強、とにかく「知識をいれて点数を取る」(研究はまた別ですが)タイプの勉強は難しいこと考えずにさっさと習慣化するのが吉です。

僕の失敗談なんですが、わからないところ、疑問を感じたところに拘り過ぎて、全く勉強が手につかなくなるということがよくありました。

それは本当に勉強の意味がないので、今はわからなければさっさと答えを見るなり、なんならその答えを丸暗記するくらいその問題と答えをノートに書いたりしています。

こうするとなんとなくですが、だんだんと問題の意味がわかってくるので、今はもうとりあえずやって、手を動かして、極力頭は使わないようにしています。

 

継続こそが本当に目標をかなえる一番の道です。

「ローマは一日にしてならず」です。(くせえセリフたい!💦)

②やりたいこと、なりたい姿を常に思い描く

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僕は「世界を旅して周る。なにがなんでも周る。」という目標があります。

そのために、ノマドの仕事として世界を旅しながら仕事をしたい。

そのためには、プログラミングのスキルを付けて、そのスキルを活かす仕事がある。

よしプログラミングを学ぼう。

 

プログラミングの勉強はもちろん簡単ではありません。

頭のいい人や、理解力の早い人はさほど大変ではないのでしょうが、僕のような軽いLD持ちにはこれがまあめちゃくちゃ大変なわけですたい。

しかし、その大変さを乗り越えてでも僕は世界を旅しながら仕事をしたいので、大変ではあるけれど、苦ではないです。

(余談ですがありがたいことに就労支援でプログラミングを勉強できているので、詰まった時や、エラーが起きたときに質問できる人がいるというのは本当に助かっています。)

 

夢や、目標は、僕は1日に何回も頭の中で思い描いたり、想像しています。

また海外旅行記なんか読んだりして視覚的にもモチベーションを高めたりしています。

夢や目標を紙に書いて壁に貼るのももちろんとても効果ありです。

特に僕はモチベーションの維持なんて視覚的や、外部の力を頼らないと全く維持できません。

外部の力に頼るのはモチベーション維持においてはとても効果があります。

③続けることそのものを楽しむ

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目標達成のために今つづけていること、このことそのものが楽しくなればほかに言うことはありません。

プログラミングも大変ではありますがやっぱりうまくプログラミングができて自分が作りたいプログラミングができたときなんかはとかなりの達成感があります。

そしてこの達成感がプログラミングって楽しいなという気持ちにさせてくれます。

 

好きこそものの上手なれ、という言葉があるように楽しんで好きになると自然と人は続けます。

そりゃ好きなことなんですから続けますよね^^

そのためにも「どうやって今続けていることを楽しくできるか?」と考えることは大切です。

楽しみ方は人それぞれだと僕は思っているのでぜひ考えてみてください^^

 

 

今日のブログは以上です。

結果が出ない中でどれだけ続けられるかが目標をかなえられるかどうかのカギとなります。

僕も続けます。

 

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^

 

「弱さ」、「弱いこと」の長所

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 「弱い」のが自分たい

僕は「弱い」です。

本当に弱いです。

一言悪口を言われただけでとても傷つきます。

無視をされたら僕の存在なんていらないのかなと思います。

打たれ弱く、ストレスにも弱いです。

ビビりだし、要領も悪いし、体力だってことごとくありません。

このように書くといいところが一つもないようですが実際に弱いので仕方がないです。

 

よく世間では弱さこそ強さ!というときがあります。

僕もあながち間違っているとは思いません。

自分の弱さを知っているのは人生をタフに生きていくことにおいては「強さ」といっていいのかもしれません。

とはいえ、やはり僕は「弱さは弱さ」と思います。

 

もっというと強さも弱さもその概念自体が比較から生まれているということなんですよね。

誰かや何かと比べて強い、誰かや何かと比べて弱い。

しかし本来自分は自分です。ただ自分のありのままの状態がそこにあるだけです。

それをほかのものと比べて強いだの、弱いだのと言うのは自分の状態に取って本当にどうでもいいことなのです。

 

人間は社会的な生き物なのでどれだけ無意味とわかっていても「比べる」という行為をやめることは難しいです。(やめようと本気で決意すればできなくもないですが)

ですので、僕は考え方を変えて自分が弱いということを認めようと。

そのうえで弱いこそのいいところを探そうと努めるようにしました。(現在進行形でそうしています。)

弱さは強さ、とは言いませんが、弱さの中にもいいところはあるとは思っています。

①同じく弱さを抱えた人に共感できる

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弱さを抱えている人は当然ですが僕一人なわけではありません。

この広い世界ごまんといます。

それに弱さの種類もそれこそ無数で、考えようによってはどんな人も何か一つは弱い部分を持っています。

 

「弱さ」を自覚し、そういう弱さを抱え続けることで、こういった他者のもつ弱さに共感を示すことができます。

具体的なこととしては、「弱さに関する話をしっかりと受け止めきくことができる」ことです。

相談事や、弱さをせっかく相手が打ち明けてくれても「大丈夫!大丈夫!何とかなるばい!」ですませられても打ち明けた側はどこかさみしい気持ちになりますよね。

(この大丈夫大丈夫も僕は結構好きなやりかたではあるんですけどね笑 無条件に明るくなれるというか)

 

しっかりと相手の話をきき、受け止める。

こういった意味での強さは、「弱さ」を抱えた人こそがもてることだと思います。

そしてこうやって相手のことを受け止めると、いつしか自分も受け止めてもらえるようになっていくものです。

②謙虚になれる

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僕は弱さこそ謙虚、だと思っています。

逆に言うと強さにはどこか傲慢性が感じられます。

自分の中の弱さに自覚してこそ、自分のできる範囲のことをしっかりと知ることができます。

人からの過度の褒めにも、行き過ぎた卑下に対しても謙虚に自分は自分と律することができます。

 

僕は弱さをしることは、自分を知ることに本当に近しいと考えています。

ついつい自分はできると思い込み、できる自分を思い描き、自分の弱い部分にスポットをあてなければいつまでたっても自分に対しての理解を得ることはできません。

もちろん初めは自分の弱さにスポットをあてるのはつらいことでもあります。

しかし自分を知り、自分がどういう風に人生を歩めばいいかを知るためには自分の弱さを知ることは必要不可欠なのです。

③あきらめがつく

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弱さを知り、自分のできること、できないことの区別がつくと、

物事に執着せずきれいに「あきらめる」ことができます。

あきらめるというのは何度もここのブログでも書いてある通り決して悪い意味合いではなく、「明らかに見る」の語源にある通り、執着せず楽に生きるための秘訣なんですね。

 

僕もあきらめず頑張るなんてのはもう無理です。

頑張らない範囲で続けられることを細々と続けて習慣にしていく。

この生き方が僕には合っているなと最近改めて感じています。

「俺には無理!」とあきらめるのが早ければ早いほどその分無駄な時間を出さずに済みますしね。

自分のできること、できそうなことを淡々と続けていく。これが僕は大切だと思っています。

 

 

 

今日のブログは以上です。

皆様も自分の弱さと1度しっかりと向き合ってみて、その弱さのいいところを探してみてはいかがでしょうか^^

きっとすばらしい効果があると思います!

 

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^

 

居場所の大切さ

おはようございます^^

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 自分を愛するためにも居場所は必要

僕は現在生きづらさを抱えた人に向けての居場所づくりをしています。

大分県の「居場所~特性を生かす道~」(以下 イバトク)というグループの広報担当として活動しています。

このイバトクの特徴的なところとしてはグループのメンバー全員も何かしらの当事者であったり、経験者であったりするところなんですよね。

僕自身は発達障害当事者であったり、ひきこもり経験者であるんですが、仲間それぞれ特性であったりバックボーンが全然違うというのはうちのイバトクの大きな魅力だと思っています。

僕はこのイバトクに所属し活動始めること現在2年目なんですが、このイバトクに出会えて改めて自分にとっての居場所の存在の大切さがわかりましたね。

ここでいう居場所とは、

  • ありのままの自分を認めてくれる場所
  • 何があってもみんなが守ってくれる場所
  • いつでも帰ってこれる場所
  • いつでも休める場所

などの意味を含んでいます。

本来このような居場所は生まれたときの家族が担うはずなんですが僕はそうはなれませんでした。

現代では家族が居場所にはならないという人たちもどんどん増加傾向にあります。ということはそれだけ居場所がないまま生活している人たちが多いということですよね。

 

居場所があることで一番大きな変化があったのは、僕は自分で自分を愛せるようになれてきた、自分に自信をもてるようになった、ことですね。

学校、会社、どこでもそうですが基本的に何かしらの共同体に属すると人はその共同体の理念に自分を合わせるように努めます。

もちろんこの合わせることをまったくしない共同体っていうのはありえません。

そんなことすれば共同体として機能しなくなるどころか、個々人が好き勝手やってるだけですからね。

とはいえ、逆にその合わせることがきつすぎるのもまた問題です。

特に日本の学校、会社は個人に異常なまでに強制的に従わせようとします。

そして友人間や知り合いの間でも「空気を読む」という言葉にあるように、空気に反することをした人は仲間から外されます。

このせいでほぼすべての人がどこか息苦しさを抱えながら毎日を生きています。

先ほども書きましたがそういう状態にあっても家に帰れば家族がいてありのままの自分でいられる、楽な自分でいられる、というのが理想ではあるんですが実際はそうはなっていません。

 

ここに居場所の重要性があるのです。

いつでも楽なありのままの自分を受け入れてくれる場所、

その人当人が居心地がいいなと思える場所、

そんな場所が一つあるだけで、自分は一人じゃないと思え、どれだけ冷たくされようが自分には仲間がいるからと思えるのです。

これだけ書くとすごくいいところばかり書いている風に見えるかもしれませんが、実際に僕自身がイバトクと知り合い活動し、人に合わせず直感だけで意見を言ってもだれも否定しない。むしろこんな僕をいいと言ってくれる。そんな実際の体験談なのです。

 

それゆえにもっと「居場所」となりうる組織、グループがもっと全国的に広がれば今日本に蔓延している生きづらさの根本部分を解決できるんじゃないかなと楽観度合いもありつつ考えています。

僕も広報担当として居場所の存在の大切さをこれからも広めていきます^^

なにとぞよろしくお願いします。

 

今日のブログは以上です。

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^

誰かのために生きたい~自分の命どう使う?~

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 何に命を使おうか

生きているとだれしも必ず「自分って何のために生きているのだろうか」と自問自答することはあると思います。

大体この手の質問を自分に投げかけるときはうまく行っている時ではなく、なかなか人生思うようにいかないと気だと思います。

なかなか思うようにいかないときに、「何のために~」なんて問うたっていい答えはでにくいですし、そもそも答えなんてでず思考の袋小路にさまよってしまうのがよくあるパターンです。

 

僕は「何のために生きるのか?」という問い方を「自分の命を何のために使おうか?」と問い方を変えてみることにしました。

こうするとより具体的に自分が何を望み、人生で何を為したいのかが明確になるかな、と思ってのことです。

結論から書くと僕は「誰か他者のためにこの命使いたいな」と強く感じていることに気が付きました。

もう少し具体的に書くなら「他者から感謝され、必要とされる存在でいたい」という感じですね。

別に改まって書くことではなく、生まれてきたほとんどの人が僕と同じことを祈り、願い、求めていると思います。

しかし僕は結構ひねくれているところがあって、自分は一人でも大丈夫なんだ!と突っぱねているところがありました。

今回このようにきちんと紙に自分が何のために命を使いたいかを何回かにわけて実施してみたところ、やっぱり僕もご多分に漏れず他者からの感謝、他者から必要とされることを望んでいるんだなということに気づけました。

僕の中ではとても大きなことでした。

日ごろの小さなことから

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僕は昔から、「いつかは海外に行ってやりがいのある仕事するんだ!別に給料は多くなくてもいい!生活できて、やりがいを感じられ、のびのびと働きたい!」という夢のような、目標のような、信念があります。

 

もちろん本気でそう思っているわけではなく(本気でそう思っているなら実際に行動してるはずですからね。)なれたらいいなくらいのものではありますが、この目標の延長として世界の困っている人たちのために働き感謝される存在になりたい、という気持ちが同時にすごく強くなってきたんですね。

もちろん夢や、目標をもつのは自由なんですが、こうなってくると僕は「人から感謝されるためにはなにかどでかいことしなきゃいかんたい!!」となってしまうんです。

 

人から感謝される行動、というのは何も海外に飛び立ってボランティア活動するまでしなくても、今日この瞬間から始めることができるものです。

例えば駅やお店で後ろの人のためにもドアを持っていてあげるとか、お店でお買い物したら店員さんに「ありがとう」を言うとか、いくらでもやりようはあります。

他にも環境にやさしい洗剤を使ったり、省エネな生活をするのも遠回しかもしれませんが他者のために生きていることになりますよね。

 

僕は将来的にはより直接的に他者からの感謝を目に見える形で受ける仕事につきたいなと思っています。

しかし今からでもできることはたくさんあるのでそれを日々やっていけたらなと思っています。

それにきっとそういう風に生きているとどこかで誰かが見てくれているものなので^^

 

今日のブログは以上です^^

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^

ほんとにつらい!~突発的な腹痛~

おはようございます^^

こんんちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 これは突然やってくる!

外出したとたん、電車に乗ったとたん、会議室に入ったとたん、襲ってくる腹痛。

これほんとつらいですよね。

今回僕tigubaguがどんな時に腹痛が襲ってくるか書きたいと思います!

けっしてこうすれば腹痛が収まるよなどの対策法ではなく、あるある~として見ていただければ幸いです^^

①「長距離バス等の長時間トイレに行けない環境」に行く前

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長時間拘束によりトイレに行けないときってそれを想像しただけでお腹痛くなってくるんです。

あれなんあんでしょうかね。

体中が、「今のうちに行っとかねえと後で死ぬぞ!」と言わんばかりの警告を体中に発しているあの感じ。

で、これ性質悪いのが実際に行ったら行ったで全然でないんですよ!!!!

これわかる人はわかってくれるかと思いますが、

「やべえ・・・腹痛え、腹痛え」でトイレに駆け込んだら出ないんですよ!!

この不思議さ!

これメカニズム的には、今しとかないとヤバい!という思い込みにより、実際は出なくても出そうだと思わせているんじゃないかなと勝手に思っています。

全く、高速前に拘束しやがって。ハイ次。

②気が抜けないとき、緊張してるとき

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緊張すると、とにっかくお腹痛くなります。

特に初対面同志の集まりで、肩の力が抜けないときなんかは、半端ないほどお腹に負担が来ます。

(お腹だけじゃなく、肩、腰、頭、目にもやってきます。)

で、しかも初対面同志の集まりだと空気を読んで、途中にトイレに行けないんですよね。

これがまたつらい。

とはいえね、こんな空気なんてやっぱり僕はくそくらえだと思うんで、お腹痛いなら今はさっさと行くようにしています。

こうするだけで、自分のストレスがかなり軽減されるので^^。

「痛くなったらすぐトイレ!」テストに出します!

③人ごみの中での腹痛

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人ごみの中にいると、急に腹痛が襲ってきますよね・・・・。

まわりに人がいるということで気をつかっているのでしょうか。

で、さらにこまったことに大体こういう時に限って近くにトイレがないんですよね。

必要のないときはいたるところにあるけれども、いざ必要になった時に近くにないものの筆頭格は僕はトイレでいいと思います。

大体僕はこういうときコンビニのトイレを利用するのですが、たまにある「トイレ利用の前に一声かけてくださいのタイプのトイレ」だと人見知り発動で使うのをためらったりしますね。

 

 

大体僕はこの3つの時に突発性の腹痛が襲ってきます。

皆様はいつ腹痛が襲ってきますか?

いつ腹痛が来てもいいように、錠剤を持ち歩こうか考えていましたが、やめました。たぶん錠剤の存在そのものをわすれるので。

 

今日のブログは以上です。

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^

 

きく力~相手を認めて、受け入れる~

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 きくことは人間関係においてとても重要たい

口が一つなのに対して、耳が二つあることは人間関係においてきくことのほうが重要だからそうなんだ、という逸話を聞いたことがあります。

そのくらい「人の話をきくこと」は人間関係において大切なんですね。

このことに真っ向から否定する人はいないと思います。

 

僕が「きくこと」として、「聞く」や「聴く」と感じで表さないのはひとえにきくという行為を分類できるものではない、と考えているからです。

その前にそもそも「聞く」と「聴く」の違いもあまりよくはわかってはいませんが、僕の中できくということは、「ありのままの相手を受容する」ことです。

僕もついついしてしまうんですが、人から相談を受けたとき、人に何かを指摘されたとき、とにかく人から何かを言われたときはついこちら側も言い返したくなってしまいます。

それはアドバイスという形であったり、反論という形であったり、形は様々ではありますがどんな形であれこちらが言葉を返していることは違いありません。

 

なぜ話をきくことが大切なのか、僕なりの考えで言うと「人は話をきいてもらいたい生き物」だからです。

話をきいて、受け入れてもらいたい生き物なのです。

特に現代はSNSやネット社会の影響もあり、面と向かってのコミュニケーションの数が激減しています。そうなるとより人は誰かに話をきいてもらいたいと切望するようになります。

もう一つの理由としては口は災いの元とあるように、話すと争いが生まれます。自分の主張ばかりをしているといざこざが発生します。

それらをなくすためにもきくことが大切なのです。

そしてきくことを本当に努めていると心が穏やかになり、自分を律することができます。

僕も焦ったり、伝えたい、わかってほしい、という思いが先行するとつい口数多くなって関係がぎくしゃくすることも多いのですが、そんなときほどまず相手の話をきこうと心を切り替えるだけでかなり心が落ち着きます。

 

とはいえ中にはきくだけでなく、もちろんアドバイスを求められる場面もあるでしょうし、反論したほうがいい場面も(数は少ないながら)あると思います。

しかし、僕は一番初めに大切なのは相手の言い分、言いたいことをすべてきき、目の前の相手を一人の人間として認めてあげる、受容することだと考えています。

まずきく、そして相手を認める、受容する

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今も昔も人は話をきいてもらいたい生き物です。

悩みの相談もまずはきいてほしい、という人がほとんどです。

そのうえで僕が心掛けているのは、先ほども書いた一番初めに大切なのは相手の言い分、言いたいことをすべてきき、目の前の相手を一人の人間として認めてあげる、受容すること

です。

「一人の人間として認める、受容する」とはどういうことかというと、

人は本来自分独自の考えを大切にしていいですい、その考えを基準に物事を考えてもいいんです。

だからこそ、例えば僕とあの人で考え方が違うというのは至極当然のことなんです。

しかし人はついついそのことを忘れてしまい、自分の言っていることの方が正しい!と考え相手を論破したくなってしまいます。

(主に男性の方がこの傾向は強いようですが、女性も共感をしているふりをしてよくよく見れば相手の話をさえぎっていることがよくあります。)

僕はこのように相手を貶めるという考えをやめたいためにも、「相手は一人の人間だ。だからこそ意見、考え何もかも違う。まずはそれをきこう。」と心掛けるようにしているのです。

 

 

「きくこと」は一朝一夕でできるものではありません。

時間をかけてゆっくりゆっくりだんだんとできるようになっていくものです。

僕もまだまだこれからです。

 

今日のブログは以上です。

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^

不安が蔓延している社会で~何が安心となるのか~

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 どこもかしこも不安だらけ

先進国、資本主義の国はどこもそうかもしれませんが、不安をあおらないと商品が売れないわけです。

皆も買ってるよ、早くしないと乗り遅れちゃうよ、などのキャッチコピーを元に人々の不安をあおらせて商品を買わせるように仕向けるわけですね。

しかし社会中にこのあおらせの勢いが蔓延している今、どこもかしこも不安だらけな気がするんですね。

 

不安だらけ、というのは不安を感じている人がいたるところにいる、みたいなニュアンスで取っていただければと思います。

不安が蔓延する大きな理由の別のものとしては社会が目まぐるしいスピードで変化をしつづけていて悪い意味で先が見えないというのがあるからでしょうね。

今回のコロナウイルスもだれが予測していたでしょうか。東京五輪がコロナでなくなるなんて誰も予想していなかったと思います。

もちろんコロナ以外にも日本は災害大国なので、いつくるや知れない首都直下地震、南海地震、毎年夏になると大暴れする季節性の台風、

災害以外にも、いまやどんどんAI化が進み仕事もものすごいスピードでなくなっている。自分がいつ食っていけなくなるかわからない。

とにかく先が見えないことによる不安は今現在の日本社会に住む多くの人が感じていると思います。

 

もちろんこれら以外にも不安を形作る要素はたくさんありますが、今回は不安ではなく、安心に焦点を当てたいブログなんで今回は割愛します。

何が安心となるのか

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では実際何が僕の、そしては周りの人の、そしては他者の、安心となるのか。

どうしてもブログという形式上僕個人の主観が色濃く反映されますが、考えたものを記していきます。

変わらないこと

変わらないことこそが安心につながる!という人は多いと思います。

これだけ社会が変わっている世の中だからこそ変わらないこと、いわゆる安定が求められるのでしょうね。

とはいえ今は、仕事においても大企業に勤めたら一生安泰ということはなくなりました。いつ首を切られるかわからないそんな不安が蔓延しています。

だからこそ人々は「変わらない何か」を求めそこに依存したくなるのでしょう。

お酒であったり、ギャンブルであったり(ギャンブルで得られる興奮感はいつも変わらない)、はたまた彼氏彼女であったり、親であったり、、、

変わらずいつでも頼ったり、刺激を得られたりする存在が欲しくなるのだと思います。

 

僕の考えなんですが、生きるということは不安定そのものだと思っています。

不安定のさなか本当の意味で安心できることは、自分の行ってきた過程だと思います。

自分が何を為し、どう生きてきたか。これが、いや逆に言うとこれしか、真の意味では自分を支えないと思います。

この時に自分の行った過程が他人からどう見えているかなんてのは一切比べる必要ないです。

自分が自分の行ったことに自信と誇りを持てればそれでいいのです。

自信と誇りを持てるように過ごすことが大切、とも言えますね。

今のこの生き方が自分を支えるまさに一番の糧となります。

安全

2つ目の安心の材料は安全です。

これは災害大国日本だからこそより大切にされるところでもありますよね。

安心=安全くらい言われるほど、安全は大切です。

自分が明日も同じような毎日を送れる。命の危機を感じずに日々を過ごすことができる。

この安全の大切さは逆説的ですが、安全でなくなった時に一番わかるものです。

しかし今も現に安全を守るためにがんばっている方々がいます。

本当に感謝です。

人々とのつながり

3つ目は「人々とのつながり」です。

いくら先が見え、安全で、快適な暮らしをしていてもつながりがなく孤独だというのではなかなか安心感を得られるのは難しいと思います。

しかしつながりなら何でもいいかと言えばそんなこともないと思います。

今はSNSの時代なのでSNSでつながる、なんてのが当たり前になっていますが、果たしてこれはつながっているんでしょうか。

SNSで知り合った人で困った時に実際に助けに来てくれる人なんてほぼ皆無でしょう。名前も知らない、顔も知らない、声も知らない、もしかしたらロボットかもしれない?そんな知らない尽くしの相手とやりとりをすることのどこがつながりなのかなとは僕は続く思います。

 

きちんと会ってはなしFace to Faceのコミュニケーションができる関係、困ったら支えあえる関係、こういったものこそが僕は「つながり」なんじゃないのかなと思います。

つながりについても書き出すとキリがないので今回はこのくらいにしておきます。

 

 

僕は安心のためには、まず大きく、「安定」、「安全」、「つながり」の3つが必要かなと思いました。

皆さんは安心するためには何が必要だと思いますか?

 

今日のブログは以上です。

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^

 

ps.つながりについて過去に記事を書いていますのでよければこちらも読んでいただけると幸いです^^

 

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誰にも共感してもらえなくても大丈夫

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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共感してもらないこと、人に話せないこと、誰しにもある

自分の大切にしている考えや、信条にしていることが他者に理解されない、受け入れてもらえないときってすごくつらいですよね。

そのうえ社会は「わかりあえることが一番で何よりもいいこと。」としているものだから誰ともわかりあえない自分はダメなんじゃないか、そう思ってしまうときもあると思います。

実際僕なんかがしょっちゅうそんなふうにわかりあえないこの自分に対して時にすごく寂しく、孤独を感じるときもありますが、とはいえこれも僕なのでどうしようもないんですよね。

 

ここで自分の話を一つ。

少し以下のホームページの記事をご覧になっていただきたいです。

https://www.huffingtonpost.jp/2017/03/15/math-memory_n_15397220.html

この話は、小学1年生の時の著者が、算数の授業で「1+1=2」がわからなくて強迫神経症になったという話なんですが、僕は最初このブログを読んだ時に心の底から共感しました。

なにに共感したかというと、

「わかってもらえないことが、わかってもらえないってつらいよなあ!!」ってことです。

普通質問なんかすると、わかっている人が「わからせようとする構図」がそこには生まれます。

しかし当人にとってはいくら説明されても、「わかること」と「わからないこと」はまるで別で、「わからないことはわからないこととして依然残っている」んですね。

この話の女の子も、そうなんですがこのようなタイプの人にはまずは「そうだね。君の考えで行くと確かにわからないね」とわからなさを認めてあげることが必要不可欠だと僕は思っているんですよね。

 

はい。本題戻ります。

この上の話は僕自身もずっとわからないことがわかってもらえなかったので書いた話なんですが、このブログを読んでいる人の中でも、上の話を分かってくれださる人もいれば、そうでない人もいると思います。

で、僕はこのようにわかってもらえないことをほかにもたくさん持っています。

だから社会の言う「わかり合う、共感、人と人とは通じ合える」なんて言葉を聞くと、吐き気まではいきませんが、僕には合わないなと感じてしまいます。

そこで僕は自分に言い聞かせることにしました。

「大丈夫。共感してもらえなくても、わかってもらえなくても大丈夫。」と言い聞かせるようにしました。

自分で自分を認めること。自分で自分を愛すること。

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そのうえで大切なのは、当たり前と言えば当たり前なのですが、

自分は、自分のことを認めてあげることです。

 

僕の場合で言うと、

  • 確かに誰にも話せないことあるけど、俺は俺のことわかってるから大丈夫。
  • 自分にしかわからない世界、自分にしか見えない世界があるというのは素敵なことじゃないか?
  • そりゃ確かに俺の理屈ならわからんわ。でもそれでも死ぬわけではないしおいしいごはんはおいしいしいいっちゃない??

などなどして自分を認める言葉を投げかけています。

そして人というのは究極的には自分で自分を完全に認めて、自分で自分を受容できれば、他者からの承認、評価は必要ないんですね。

 

そうなるためにももう一つ。

自分で自分を愛すること、これも欠かせません。

いつかのブログでも書いたのですが、

何か選択しなければいけないとき、何か迷ったときは、僕は自分に「自分を愛している人ならどうするだろうか?」と問うようにしています。

自分を愛するというのは、僕は練習次第で誰にでもできることだと思っています。

今回は省略しますが、僕が読んだ本で自分を愛するために有益なことが書かれている本をまたブログで紹介したいと思います。

 

他者に理解されないことがあっても大丈夫です。

それで死ぬわけではありませんし、不幸になるわけでもない。

しかし自分はそのことを認めてあげることは必要です。

 

 

今日のブログは以上です。

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^

「言い訳」をしない

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 「悩んでうじうじ」はすべて行動しないための言い訳と考える

僕はとにかく悩み男です。

うじうじうじうじ考える男です。

答えのでることなんてほとんどなく哲学的な(そんな高尚なものではないですがとりあえずこの言葉を使っています。)ことをああでもないこうでもないと思索しています。

それだけならまだしもひどいときは、すっきりしないからとか、モヤモヤにこだわってしまい時間をいたずらに消費してしまうこともしょっちゅうです。

 

で、こうなると僕はするべきことができなくなります。

そりゃそうですよね。考えすぎてそっちにばかり意識が向くのですから。

するべきことができず、日常生活が思考一辺倒の頭でっかちな毎日になると、すぐに「なんで生きてんだろ?」、「なんのために生きるんだろ?」、「死んだらどうなるのかな?」などの思考に行きつきます。

結果として、家事がからきしできなかったり、考えすぎで眠れず次の日の就労の授業に出れなかったり、散々です。

 

こうなると僕は「考えすぎやけん行動に移せんとたい!!」

と言って、なんとかして考えすぎを治そうとします。

しかし考えすぎの人ならわかってくれると思うんですが、これってうまくいかないんですよね。

考えすぎは意思の力でどうにかなるものじゃないんですよね。

で、これに気づかず意志の力で考えないようにし続けていると、いつしか行動できないいいわけとして「考えすぎてしまうから」と設定してしまいます。

 

僕の経験上こうやって考えすぎを言い訳にして、ずっと悶々としていたらいつまでたっても動けません。

解決策は、「言い訳するな、動け」。

これだけです。

言葉にするとめちゃくちゃ簡単ですが、実際するとなると超絶むずかしいのは皆さんもわかってくれるかと思います。

動くたびに思考が頭の中で暴れるんです。

その思考をどう抑えて、行動につなげるかがキーなんですが、これも実際に行動に起こして体感として学んでいくしかないです。

習うより慣れろです。

 

このように書くと、「本当に動きたくても動けない人もいるぞ!」という人もいます。

もちろんわかっています。

この「言い訳するな、動け」というのはほかの誰でもない、僕が僕に対して言っている言葉なのです。

だからそもそもこのブログでこのように記事にするのもおかしいのかもしれませんが、僕は自分が行動を起こさないときに言い訳を用意したくないと思っているんです。

言い訳をするくらいなら、そもそもそこまでやりたいことではない。

言い訳をしてうじうじしたくはないんですね。

自分のための言葉です。

言い訳しても、共感同情はされても、だれも助けてはくれない

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自分の今の現状を嘆いても、

考えすぎな性格で動けないんですよ~と叫んでも、

「それはつらいよね」とは言ってはくれてもだれもその考えすぎを消してくれるわけじゃありません。

誰も僕の代わりに僕の生活をやってくれるわけではありません。

僕の生きづらさを解消してくれるわけではありません。

 

生きるというのは本当に大変です。

誰かが何かをしてくれると期待してもそれは一向にこないでしょう。

もし誰かに何かをしてもらいたければ自分から行動を起こし、頭をさげなければいけません。頼み込まなければいけません。

考えすぎだろうが、何も考えてなかろうが、社会はそんなこと知ったこっちゃねえって言います。

逆に自分に何の取り柄はないと思っているがゆえに一生懸命行動に起こし、自分を表現していれば、誰かが必ず見てくれています。

 

最近僕は自分自身に対していい意味で「甘えるな」と言っています。

甘えるなって言葉は谷社から言われるとすごく腹が立つんですけど、自分が言い聞かせるときは(もちろん甘やかすときも十分ありますが)、すごく力になるんです。

自分の力を頼れよ、みたいな感じで。

 

誰の人生か?

僕の人生です。

自分を頼れず、だれを頼るのか。

自分を頼ります。

 

 

今日のブログは以上です。

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^