「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

「他人がみんなやっている」からといって、「自分はやる必要はない」って話

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 自分のことは自分で決める

当たり前ですが、自分の人生は自分のものです。

ほかの誰のものでもありません。

その人生において時間をどう使うかも自分の自由です。

 

しかしこの人生における時間の使い方ってのが本当に難しい。

ともすれば、自由すぎるってのは行き過ぎると恐怖にかわります。

皆さんも経験あるとすれば何もすることがない休日が長く続くととてもつらいじゃないですか、それと一緒です。

人は何かしらで縛られたほうが楽しく生きる、楽に生きるという面においては圧倒的にメリットがあるのかなと僕は考えます。

逆にいえば特に日本人はその縛られている部分でがんばりすぎちゃうからこそ燃え尽き症候群になりやすいのかな、とも思ったりはしますが。

 

しかし、とはいえです。

僕はこの「縛られている」っていうのと「自由」というのを比べたときに、圧倒的に「自由」がいいと思う人間なんです。

進路や自分の進む道や、将来のことを決められたくはない!

その分自分の頭で一つ一つ思考していかなければならないけれどそれでもがちがちに縛られるよりはましだ!っていうタイプなんです。

 

そして僕がもっとも嫌いなのが、「自分は縛られて嫌なことやってんだからお前もやれよ」ってタイプの人です。

自分がどのように、どんなふうに人生を歩んでいくかは自分の好きなようにすればいい、と考えている僕にとってこの考えの持ち主の人はとにかく苦手でしょうがないです。

 

学校に行かなくなった時も一定数やはりいましたね。

休み休みでもまだ教室に入れていたころに影口で「俺たちは来てるのに休んでずるい奴だ」みたいな感じのことを言われていました。

 

僕からすれば、本当に知ったこっちゃねえ!!って思うんですよ。

それだけいうならそういうあなたも学校を休めばいい、なんなら学校をやめて自分でこれからの生きる道を模索すればいい。

というか、そうやって主体性をもって生きていかないと僕の場合はなんのために生きているんだ状態になってしまうんで、主体性をもつしかなかったんですけどね。

 

おそらくこういうことを言う人の心理には、妬みや嫉妬があると思うんですが、より大きくは「不安や恐怖」、ほかには「怒りや苛立ち」でしょうね。

自分たちとは違うことをしている異質な存在に、どこかで苛立ちを感じていて、それをそのまま出すわけにはいかないから遠回しに「みんながやっているからお前もやれ」っていう風になるんでしょうね。

 

ですが、何度も書きますがあなたの人生はあなたのものです。自分の人生は自分のものです。

どのように生きるか、どのような信念をもつか、どう考えて生きるかはすべてあなた次第です。

 

こういうと、「お前はそういうけどお前が生きていくためのお金を出すのはお前の親じゃねえか!」っていう人も必ずいますが、これに関して知ったこっちゃねえってことなんですよ。

そもそもなぜ第三者がとやかく言うのかがわかりません。

家族の中で、家族がよしとしてくれるならそれでいいのではないでしょうか。

(逆を言うと、また家族がよしとしてくれないときは当人にとってはとてもつらいものとなります。だからこそ特にひきこもり状態にある子どもにとっては親が認めてくれるか、受容してくれるかどうかがとても大きなカギとなるわけです。)

 

また、先ほど「どのような信念をもつか、どう考えて生きるか」もあなたの自由、と書きましたがこれは特に自分自身に向けて書いた言葉です。

僕は再三再四このブログでは書いてますが、完璧主義です。(ツイキャスでリスナーさんが教えてくだった言葉で不完全恐怖症というものがあり、僕はどちらかというとこちらに近いかなと思いました。)

完璧主義の中でもとくに「論理的な正しさ」「絶対性」なるものに異様なまでにこだわってしまうのです。。

 

論理的な正しさや、絶対性というのは言い換えるなら「今のありのままの自分の考えをすててこちらの考えに鞍替えしなさい!!」って言われているようなもんなんですよ。

ですんで、僕は自分を大切にするためにはこの論理的な正しさにこだわることをやめる必要があると思いました。

しかしこれがまあ、なかなか難しいんですよね。

小学校からずっと、数学に始まる科目教育の中で論理的正しさや絶対性に埋もれる教育を受けてきて社会に出たら出たで社会の論理(考え)に合わせて生きることを余儀なくされる

そんな中で論理に正しさを求めず、自分の思考、考え、感情だけで生きるのは大変かもしれません。

それでも僕はゆくゆくは必ずこっちの生き方のほうが楽だと心から信じています。

それに最近少しずつ、自分の思考だけで立てるようにはなってきました。

もちろんそれは、正しさを求めすぎた故に自分を死にたいくらいまで追い詰めた過去や、自分の思考を良しとして生きていきたいとい強く望み続けそれのために読書や人の話をきたりした成果が少しずつ現れてきているのかなと感じています。

 

少し話が脱線しましたが、

僕はこれからも自分が生きやすい道を全力で選んでいきますので何卒よろしくお願いします^^!

 

今日も皆様の一日がよか日なりますように!^^

ではまた!

 

 

イベント告知!!3月3日おしゃべり会!!@大分県大分市

おはようございます^^

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来る3月3日に僕が所属する居場所~特性を生かす道~のおしゃべり会(当事者会)を行います^^

 

以下イベント詳細です^^

 

日時・場所

日程:2020/03/03(火) 10:30-14:30

このイベントについて

 発達障害、ひきこもり、IBSなど行きづらさを抱えている人たちの悩み相談や情報交換をする場です。
●受付は10時00分より
●場所は大分県社会福祉会館 二階 視聴覚室
大分県社会福祉会館さんへの直接のお問い合わせはご遠慮ください。
●参加費
当事者…200円
当事者以外の方…200円+カンパ費
●遅刻、途中退室などは自由です。
●お話しするのが辛いときはお話しされなくても大丈夫です。
●人数の把握の為、以下のアドレスに連絡していただけたら幸いですが、突然参加でも構いません。
tokuseilove1@gmail.com

 

毎度おなじみ僕tigubaguによるコントも行います^^

 

ぜひきてくんさい!きちょくれな^^!!

 

最近よく来る「何もしたくない感覚」から人生を考えてみた

おはようございます^^

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 赤裸々に今の気持ちを書きます

最近「何もしたくない感覚」にしょっちゅう襲われる。

理由はおそらく、「疲れがたまっているから」

これがほとんどだと思う。

 

じゃあ、疲れを取れよ、と至極まっとうに言われても、改めて考えてみると「疲れをとる」って結構難しい。

というより、僕は自分に合った一番ベストな疲れの取り方を知らない。

そう、疲れの取り方を知らないのだ。

 

もちろん、こうすればいくらかは疲れが取れるってのは知っている。

がっつり寝る、温かい湯船につかる、元気の付く食べ物を食べる、スマホやパソコンのブルーライトを浴びすぎない、、

などといったことは僕でなくてもだれでもしっていることだ。

しかし自分がこれをすればどんなときも疲れが取れるんだよね、っていう自分に対する疲れの取り方の最適な答えを僕は知らない。

 

そして僕は常に心のどこかに不安やモヤモヤを抱えて生活している。それのせいで常にどこか体がけだるい感じがする。

すべてさっぱりモヤモヤがなくなって100%最高の気分なんてもしかしたら生まれてから1度も経験したいないのかもしれない。

そのくらいずっとモヤモヤを抱き続けている。

で、そんなモヤモヤを抱き続けて生活していると、慢性的に疲労がたまるシステムなのか、疲労がたまってきて「何もしたくないモード」に突入する。

 

僕は改めて今生きているこの世界を見返してみると、「わからないことばかりだな」と感じる。

僕の足りない頭で考えてもたいして意味はないのかもしれないけれど、僕はそう感じる。

 

みんな(大勢の普通の呼ばれる人たち)がやっていることみんなの考えそういうものに僕はどうしても疑問を感じてしまう。

なんでそうなるんだろう、それは矛盾じゃないのか、こうとも考えられるんじゃないか、俺はそういう風には感じられない。。。。。

こんな風に周りの人のすることやること、社会に対して常に疑問だらけだ。

 

ああ、生きづらいなあ、、ってのはもはや麻痺するくらい毎日感じている。

感じているからどうってことでもないけれど。

 

この「何もしたくない感覚」ってのはもとをただせば「生きづらさ」から来ているんじゃないか。

生きづらい毎日の中で、なにをしても無力という感覚が積もり積もったんじゃないか。

 

と、まあここで終わってしまうとただのネガティブ記事になってしまうので(たまにはそういう記事もいいかもしれないが)、もう少し続けます。

 

たぶん生きづらさと無力感、ひいては希死念慮すべて一続きなものであるだろう。

言ってしまえば負のループ、みたいな感じ。

 

しかし、だからこそ、僕は生きなくちゃいけないんだ。

僕は自分の人生の使命にこの生きづらい人生をなんとか、少しでもなんとかしたい。変えていきたい。って思いが強くある。

そのためには毎日毎日、小さなことから積み上げていくしかない。

 

具体的に書くなら、

  • 居場所づくりでの毎月の当事者会
  • ツイキャスで行っている生きづらさを語るキャス
  • 自分の考えを発信し続ける、ブログ、YouTube
  • 自分のモヤモヤや違和感と向き合うための毎日の読書
  • 人が怖くてもそれでも人とつながりつづけること

こういったことを続けていくためにも僕は生き続けるしかないんだ。

「何もしたくない感覚」を見つめた先は、「何かを少しずつ積み重ね続ける毎日」になる、っていうどこか逆説的なところに着地した。

 

時間はかかる。本当に時間はかかる。

しかし、それでも、どこかで誰かが必ず見ていてくれて、僕のこの行動が自分自身ひいては同じように生きづらさを抱えている人たちの力になることをずっと信じ続けている。

人は希望をもつことで生きる力が湧いてくる、とどこかで見たけれど本当にその通りだと思う。

 

とはいえ、今も全力で何もしたくないし、ゴリゴリに生きづらい毎日だし、3日に1回は死にたいって思うし、それでも生きてる毎日です。

これからもよろしくおねがいします。

 

今日も皆様の一日が良き日となりますように!

ではまた!

 

ps,

真剣にまじめに自分一人で、頭一つで考え続けるからこそ世の中の矛盾に気づいてしまうんだろうね。

大丈夫。君のその考えは間違っちゃいないから。

自分は自分を肯定してほしい。

いつか必ず理解者が現れるとは言えないけれど、自分で自分の考えを否定してしまったらそれこそ地獄だ。

自分は自分の味方であれ。

 

 

 

逃げるが勝ち、ってな話

おはようございます^^

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逃げるが勝ち!

振り返ってみれば僕はとにかく逃げ続けた人生を送ってきたなと感じます。

学校、勉強、仕事、、自分がやりたくない、行きたくない、と思うことからはとにかく逃げてきました。

逃げないと、自分の体、心がもたないと判断してのことです。

 

学校にもう行かないと決断したのも、あのまま通っていたら僕は死んでいました。間違いなく死んでいました。

自分の身を守るためにも僕は学校から逃げました。

 

そんなたくさんの逃げを経験して思うのは、人生嫌なことや辛いことからはほんと逃げるに限ります。

なぜなら人はいつ死ぬかわからないからです。

いつ死ぬかわからない、もっというと自分の人生にとどのくらいの時間が残されているかがわからないわけです。

だからこそ嫌なことをやっている時間はないわけです。

 

しかし、当たり前ですが自分のしたいことをして生きる、ってのも楽なことじゃありません。

したいことでお金を稼いで食べていけるようにするためには、スキルを磨くなり、長い長い下積みを続けたり、とにかく大変です。

しかしこれらのものから「逃げて」しまっては人生やりたいことをやって生きていくことはできません。

 

要はなにから逃げるかを見極めること、が大切なんです。

なんでもかんでもから逃げ続けていては、楽ではありますが、自分のやりたいこともできません。(とはいえ、本当につらくて死ぬことを常に考えているときなんかは、すべてから逃げるってことも僕は時に必要だと思います。そんなとき親御さんや、周りの支援者が逃げることに理解を示してくれるだけでとても救われるのです。)

 

自分がこれはやってみたいな、これだけはどうしても成し遂げたいなと思うことには、そのために必要な大変なスキルアップの期間や下積み期間を受け入れて挑戦してみる。

 

ほかにも嫌なことからは逃げ続けて最後に残ったものに自分の全部をコミットする残ったものに逃げずに堂々と挑戦してみる、こんな感じです。

 

僕の場合で言うと、僕はとにかく人との共同作業が無理でした。それこそ小さい幼稚園のころから無理でした。

それゆえに人と関わる仕事は絶対に無理だとわかっていたので、人と関わる仕事からは逃げ続けました。

趣味に関してもそうです。ゲームがすごく好きなんですが、なかなか人と関わるオフ会には行ききらず、ずっと家で一人で黙々とゲームしてました。

 

そんな僕が、自分の特性、自分の趣味、やりたいこといろいろ混ぜ合わせて、できないものを排除していった結果残ったのがブログとYouTubeって感じなんですね。

なんで最後に残ったこれだけは頑張って続けてみようって感じです。

 

逃げられずにつらくて死にたいと思うくらいなら、ガンガン逃げて生きたいと思える人生のほうが僕はずっと素敵で素晴らしと思います。

 

今日も皆様の一日がよか日になりますように^^

ではまた!

 

tigubagu流~良質な睡眠を取れるための対策法~

おはようございます^^

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また別のブログでも紹介する予定ではありますが、僕と仲間たちでやっている生きづらさを話し合えるツイキャスが楽しくてなかなかブログを書く体力が残っていない毎日です笑

楽しいことが一日の中にあるっていいですね^^

それだけで人生に色がついていく感じがします(伝われえ!)。

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とにかく眠れねえんだあ!!

僕はとにかく夜眠れません。。

とにかく眠れません💦

原因としては、、

  • 寝る前にスマホいじる
  • 考え事をする
  • 不安で頭の中がいっぱいになる
  • 細かいことがきになってしまう

などなどいろいろあります。

もともと感覚過敏もあるのでそれの影響もかなり大きいと思います。

 

寝付けないときは本当に朝まで起きてるなんてこともざらにあります。

疲れすぎていて眠れない日なんてのもしょっちゅうです。

 

今回はそんなTHE不眠症の僕が少しでも良質な睡眠を取れるために工夫している対策法をご紹介します。

対策法① 寝具を整える

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これは本当にやったほうがいいです。

僕大学の時に、睡眠に関する授業を取っていたんですが、日本人の多くが寝具を適当に選んでいるという現状があるみたいです。

かくいう僕も、今のベッドはホームセンターに行き適当に安くて、便利そうなものを選びました。硬さがどうとか、寝心地はどうとかほとんど試さずに買いました。

もちろんこれはこれで寝れないこともないんで、絶対にダメというわけではないんですが、やはり睡眠とは人生の1/3をしめる重要な時間です。

良質な睡眠を取っている人はそれだけで人生前向きに明るくすごせるともいいます。

 

ですんで、いい睡眠を求めるのであるならば、寝具はこだわって、自分にあった寝具を選ぶのがいいです。

当然ですが自分にあった寝具のほうが寝つきも圧倒的によくなります。

 

で、実際僕がこの効果を実感したのが、最近僕10年以上使っていたマクラを買い替えたんですよ。

アマゾンで売っているレビューの高いマクラに買い替えてみました。

すると、寝つきが全然違います!

こんなに違うのかと驚きましたね。

 

マクラだけではなく、掛け布団も、敷き布団も、そしてベッドもいうなれば適当に選んだものなのでこれから買い替えるときはケチらずにいい寝具を買っていきたいと思います^^!

 

対策② あたたかくする

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わりとオーソドックスではありますが、シンプルにおすすめです。

特に寝る前にあたたかい飲み物なんか飲むのはいいですね^^

 

特に僕のお勧めは、「しょうが湯」ですね!

喉にもいいし、体がポカポカ温かくなってきます。

さらにはちみつも入れて飲むと効果アップです^^

 

ほかは、ココア温かい麦茶なんかもおすすめです^^

とにかくカフェイン入りはさけることですね。

 

外側からの温めとしては、やはりシャワーではなく、しっかりと湯船につかって体を温かくすることがポイントですね^^

入浴剤なんかも効果的です。

 

対策③ ベッドに入る前に読書する

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これ結構お勧めです^^

僕は寝る前にこそすこし頭をつかう一筋縄で読み切らないような本を最近読むようにしています。

もちろんここは賛否両論あるところだとは思います。寝る前はなるべく頭を使わないポジティブな本を読むのがいいって方もいるとは思いますが、それはそれでいいと思います^^

 

僕は難しい本を読むときはノートを取りながら読むのですが、寝る前にノートを取りながら読書をすると思考が自分の嫌なことや不安なことに向かなくて済むのでいい意味で楽なのです。

とはいえ、逆に本の内容に引っ張られて考えだしてしまうってこともよくあったのでやっぱりバランスが大切ですね^^

 

皆様が良き睡眠を得られますように^^

今日もよか一日を!

ではまた!

 

 

ps.

先日に睡眠についてまた別の角度から記事を書きましたのでぜひご覧ください^^ 

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tigubagu流~孤独の対処法~

おはようございます^^

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 現代は孤独の時代

現代は多くの人が孤独を抱えている時代です。

SNSでつねにつながりを求める人もどんどん増えてきています。

誰かといても、自分は理解されていないといった類の孤独を抱えている人も大勢います。

こうなった原因としては、スマホの急激な発展によりFTF(Face  To Face 面と向かう)のコミュニケーションが減ったから、核家族化が進み地域での交流がどんどんきはくなっていっているから、などいろいろあるとは思いますが今回は原因追及が目的ではないので割愛します。

 

孤独を感じていると、いろいろなところで支障がでてきます。

特に僕なんかは敏感なので、孤独を感じるとすぐに体のどこかが痛くなります。

それに常に胸のあたりにモヤモヤ?した感じが横たわっています。

 

今回は僕がこの体にも影響の出る孤独(孤独感)をどう対処しているのか今回は2つ紹介しますので書いていきます。

 

対処①まずは受け入れる

とても重要です。

受け入れるとは、言い換えるならば「今自分が孤独を感じていると受け止め冷静にどうすればいいかを考える」ことを言います。

 

僕も最初は自分が「孤独」ということを認めたくなくてずっと自分の中で戦い続けていました。

しかし戦っても戦っても感じていることは事実なので倒せるはずがないんですよね。

さらに、戦えば戦うほど体力も精神力も落ちてきて余計に孤独感に心身ともに侵食されます。

 

ですので、まずは見栄もプライドも捨て、自分が孤独を感じていると受け入れること。

受け入れたうえで、落ち着いて思考を始めていくわけです。

 

思考の方法としては、

  • なぜ孤独を感じているのか
  • いつから感じているのか
  • どうすれば消せることができるのか
  • 孤独を感じていて日常生活にどれほどの支障があるのか、または支障がないのか
  • そもそも孤独を感じているだけで、はたから見れば私は孤独ではないのではないか?

といったことをゆっくり進めていくのがいいと思います。

できるなら紙に書いて視覚化して考えていくことをお勧めします。

 

その際にお勧めの本を一冊ご紹介します。

反田克彦著『孤独を軽やかに生きるノート』

 

孤独を軽やかに生きるノート

孤独を軽やかに生きるノート

 

「孤独」を受け入れつつも楽に生きることができる方法がワーク形式になって紹介されているのでお勧めです^^

 

対処② やることを淡々とやる

 僕がよくこのブログでも紹介している「気になることがあっても気にせずやることをやる」方法。

(名前つけて○○法とかって言ってみたいんで、名前考えておきます^^)

 

結局、不安や心配事と一緒で、気にするから孤独もむくむくと大きくなってくるわけなんですよね。

ですんで、孤独を感じても気にせずやることを淡々とやっていく。

そうすれば、一時的な解決にしかならないかもしれませんが、一時的には解放されます。

この「一時的」っていうのがとても効果的で、ずっと気にし続け、考え続けていると、心も体も弱ってしまうんで、余計につらくなります。

一時的に解放されることで、力が戻り前向きな思考になることができます。

 

で、また「淡々と」することがポイントです。

難しく考えることや、思考を要することはついつい考え始めると気づいたら「孤独のことを考えてる」っていうのが往々にしてあるので考えずに淡々とするのがよかですね^^

 

まとめ

「孤独」というのはとても一筋縄で語りつくせるものではありません

人が違うだけで感じる孤独の中身も大きく変わってきます。

 

孤独を考えることは、孤独と共生するうえではとても重要なことだと僕は考えます。

このブログでも孤独についてこれからも考えていきますのでよろしくお願いします。

(過去に孤独について書いたブログを以下に貼っておきます。ぜひご覧ください^^)

 

www.dotama-kotoba.com

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今日も皆様の一日がよか日となりますように!

ではまた!

なぜ『なにもしないこと』はそれほど難しいのか

おはようございます^^

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「なにもしないこと」は難しい

皆さんは少しの時間でいいから何もせずボーっとすることはできますか?

眠い時間帯だったり、忙しくて疲れていればできるかもしれませんね。

いや、この現代社会では疲れているからこそ余計「なにもしないこと」ってのは難しいかもしれません。疲れていても、休んでいる場合じゃないとか、今しか自由な時間がない!ってことでスマホSNSに時間を費やしたりしてしまうかもしれません。

 

とにもかくにも僕は現代という時代はとても「なにもしないこと」が難しい時代だと思っています。

僕自身、ものすごく疲れやすい身体です。しかしそれでもなにもせずボーっとしようとすると体がもぞもぞしてきて、スマホが気になったり、机に向かって作業をしなくちゃと焦ったりします。体はつかれているのに、です。

 

今回なんでこんなになにもしないことが難しいのか、僕の頭一つで考えてみました。

 

理由① 現代は「忙しい」を良しとし、価値を置く時代だから

正直僕はほぼほぼこれが答えだと思っています。

今の時代何をするにしても、忙しくあわただしい状態が充実しているとされている。周りの人も忙しい人を見ると、がんばっているなと称したりする。

現代がなぜこれほどまでに忙しいことに価値を置くかは、日本の近現代史を紐解くなり、日本の働き方の変遷を調べるなりすればわかると思いますが、今回はなぜ忙しいのがよしとされるのか、の原因解明ではありませんの割愛します。

 

僕は忙しい、ってのが好きじゃありません。

いや、好きじゃありませんどころか大嫌いです。

疲れるし、パニックになるし、どじったら怒られるし、生産性ばっかり注目されるし、「忙しい」なんて個人的には全く価値のないことだと思います。

しかし、そんなこといいつつも僕もこの「忙しい教」の呪縛にがっちりと絡め足られています。

一日にたくさんのことをこなせた時や、一日のうちにあわただしくいろんなところを駆けずり回った日なんかは、家に着いたら「あ~充実したあ!」なんて気持ちでいっぱいになります。

この充実にはキリがなく、一日充実しても次の日も充実しないとすぐに「ああああ、充実させないと!無意味な一日になっちゃうよ!」となるので性質がわるいです。

 

そもそも「忙しい」という漢字は、「心を亡くす」と書きます。

文字だけ見たらなかなかインパクトのある文字ですよね。

心を亡くさないと、人はついつい頭で考えてしまうからここまで動くことはできない、ということなんでしょうか。

心を亡くすほど動き活動してたらそりゃ体に疲れもたまるわなあ、と妙に納得していた僕です。

 

とはいえです。

体が本当に疲れ、なにもしない日が続くと今度は人間はどんどん動きたくなります。これは人間が動物である本能でしょう。

それに考えすぎで一歩も行動できない、考えすぎでもっと辛くなるってな状況の時にはむしろ心を亡くして忙しくする、何もしない時間をなくすってのは有効打となるんですよね。

 

ここのバランス調整が重要ですね。

 

理由② スマホ中毒になっているから

「なにもしないこと」が難しい2つ目の理由は、僕たち現代人の多くがドーパミン中毒、その中でもスマホ中毒になっているってことですね。

 

なにもしない!今日は体を休める日なんだ!体だって重たいし、頭もいたい。

それでベッドの中で目を閉じていても、とにかくスマホが気になって仕方ない。

気になる内容をあげるなら・・・・

  • バイブがなった!lineかな。Twitterかな。気になるな
  • あ、あれ調べたいな。調べたいな調べたいな。
  • 不安がでてきた。スマホで不安の対処を調べよう。
  • 今日のライバロリさんの動画まだ見てないな。見たいな。
  • 東京03のコントのあのワンシーンまじで面白かったな。もっかいみてえ!

ざっとこんな感じですね。

どれもこれもしっかり何もしない時間をとって休んでからあとで見ればいいだけの話なんです。

それななのに、言葉にすればこれだけ単純なことなのにそれができない。

僕も自分でああ、スマホ中毒だな、とつくづく嫌になります。

 

しかもスマホを見てしまうと余計に疲れが増すんです。スマホを見ることにより余計に疲れも取りにくくなるんです。それなのに見るんです。

自分で自分をバカだと思います。

が、実際このことは僕一人の身に起きていることではなく、世界中どこかしこで起こっているいたって日常すぎるほど日常のことなんです。

 

スマホ中毒になる原因は脳内の快楽物質のドーパミンって物質が原因です。

別名期待物質とよばれ、パチンコなんかに行ってあたるかはずれるかわからないその瞬間に脳内でバーっと大量に放出されるみたいです。

 

スマホも通知が来てるかどうか、だれからきているのか、気になる人から来ているのか、この不安はスマホで処理方法を調べたら吹っ飛ばせると期待する、、

スマホはとにかく人に期待させます。楽しみ、ワクワクをもたせます。

それゆえにとても依存し休んでしょうね。(もちろんそれ以外にも理由はありますが)

 

スマホ依存の克服のしかたは今回のブログの趣旨とは外れるので割愛します。

 

理由③ 特性(ADHD)の影響

万人に当てはまる理由としては理由①と理由②の2つだと思いますが、この「特性(ADHD)の影響」とは僕個人がとくにそうだなと感じることです。

 

ADHDはとにかく多動、動き続けていないと落ち着かない発達障害として有名です。

ほかにも衝動性、集中力がないなんてのもあります。

動き続けてないと、体がもぞもぞして布団のなかでもごろごろごろごろ体を動かしています。

それゆえなにもせずボーっとするってのはADHDの僕にとってはいわば訓練、修行みたいなもんなんです。

 

が、最近あのメンタリストのDaigoさんが動画でADHDの人は運動をすると効果的といった動画を挙げていて、実際これすごく効果あったんですよ。

運動っていっても軽く外を散歩するくらいですが、家帰ってシャワー浴びてベッドで休むとあら不思議。

多動性が落ち着いているんです。

 

なんでこのADHDの影響に関してはこれからトライ&エラーで試行錯誤してまずは自分にあう運動方法を見つけていければと思います。

 

 

なんだか今回は「なぜなにもしないこと」ができないのか、焦点を当てたので今度は

「なにもしないこと」の大切さそのものもブログに書きたいと思います。

 

今日も皆様の一日が良き日となりますように!

ではまた!

発達障害を語る part4~僕の人間関係の築き方のポイント~

おはようございます^^

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「僕の発達障害を語るシリーズ」も今回でpart4となりました。

以下にpart1~part3までのアーカイブを載せておきますのでまだ読んでいないよって方はぜひとも以下のpart1から読まれることをお勧めします^^

 

www.dotama-kotoba.com

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新しく築く人間関係は本当に難しい

再三再四ここのブログでは書きすぎたので、半ばあきられているかもしれませんが、

極度の人見知りの僕にとって新たに築く人間関係は本当にハードルが高いです。

人見知りの原因としては、、

  • 特性ゆえに(主にASD)人とのコミュニケーションがとりづらい
  • 人との距離感がわからずに初対面で距離を詰めすぎて避けられ経験がトラウマ
  • 敏感な性格故相手が少しでも退屈そう、いやそうな顔をしたら「嫌われたかな?」と思ってしまう
  • 沈黙が苦手なので初対面でも勢いよく話すことはできるが、結局それは沈黙を避けているだけであり、内心は沈黙になったらどうしようとびくびくしている

 

などなどがあげられます。

まあとはいってもね、世の中は甘くないですから、人見知り人見知り~!って嘆いていたところで何もしないで誰かが向こうから話しかけてきてくれることなんてそうそうないんですよ。

だからこそ結局は自分で動くしかないんです。

今回はビビりな超絶人見知りな僕でもなんとか実践できている僕の人間関係の築き方のポイント書いていきます。

想定としては交流会などの初対面の人に話しかけるときや、何回か顔を合わせているけれどきちんと話したことはない人との会話を想定しています。

 

ポイント① 何も考えずに話しかける

超絶お勧めです。

というか、これができたらもはや人見知り克服かと言えるくらいでいいと思います。

逆を言うとこれができないから難しんですけども。

 

とにかく人見知りの人って僕含め、話しかける前にいちいち頭の中で脳内趣味レーションをしてしまうんですよね。

これを話すとさけられるんじゃないか、

この話題はどぎついな、

変なこといってしらけさせないか、

沈黙になってしまったらどうしよう、

 

と行動する前からああでもない、こうでもない、と考えてしまうがゆえに肝心の一歩がふん出せないんですよね。

とにかく最初は頭の中空っぽにして、いうなりゃバカになって、「はじめまして、こんにちは~」ってとりえずでも言ってみる。全てはそこからです。

そのあともしかしたら頭の中真っ白になるかもしれませんし、はたまたもしかしたらすらすら以外にも言葉が出てくるかもしれません。

 

それでも行動を起こしたことは間違いなくあなたの経験値になっています。

そしてここも重要なんですが、人見知りなんてのは要は「経験値の積み上げ」でいくらでも克服できます。

避けられようが、頭の中真っ白になろうがそれはそれで「失敗できた貴重な経験」と捉えてとにかく数をこなすことですね。

 

で、この経験値ってのはしばらく期間が空くと0に戻ってしまうので継続的に人と接し続けることが大切です。

僕も人見知り人見知り言ってますけど、もはや自分で言っときながらこれはしょせん言い訳でしかなく、とにもかくにも人に話しかけ続けているときはやっぱり感覚がいい意味で慣れてきて、どんどん抵抗がなくなります。

もちろんその経過には沈黙になったことも、気持ち悪いって思われたことも、避けられたこともありました。が、それ以上に挑戦して楽しい話ができた思い出があるので僕はこれからも「人見知り」とはいいつつも、行動し続けるつもりです。

最初に書いた人見知りになってしまった理由をいつまでもいいわけにせず行動に移していきます。

 

ポイント② 嫌われたところで何も損害はない

初対面の人や、話しかけたことのない人に話しかける際はとにもかくにも「嫌われたくない」、という気持ちが先行してしまいます。

しかしここで一つ考えていただきたいのが、そもそもその初対面の人に嫌われたからといって、何か自分に損害があるのでしょうか。

しょせん嫌われたらそこで終わりのひと時のやり取りなはずです。もし嫌われたり、避けられたりしなければおそらくは今後もしばらくは続く関係であると思います。

初対面の人に嫌われたら、その場で関係がすぐ終わるだけであり、なにもこちらにデメリットはないんですよね。

 

もっと言うと、そこで嫌われるなら「ああ、自分にとってこの人はこの程度(自分を嫌ってくる程度)の人なんだな」と思うと僕はより楽になれます。

嫌ってくる人はしょせんその程度なんですよ。

自分の人生においてさして重要でもないし、今後関わる価値もありません。

 

そんな人たちに時間を割くよりも、話しかけて好印象を自分に向けてくれた人に自分の大切な時間を使うほうがよっぽど建設的だし、よっぽど有効な時間の使い方です。

そして自分に好意を向けてくださった方に意識を注いだほうが間違いなく僕は幸せです。

 

ポイント③相手だって人見知り 先に行動した自分をほめる

そもそも会話というのは必ずどちらかが動き出さないと始まりません。

お互いが黙ったままだと、当たり前ですが、いつまでたっても会話は始まらないわけです。

そんなとき相手は黙ったままだが、先に自分で話しかけたなら、そうできた自分を誇るべきです。ほめるべきです。

 

よくたくさんの人に話しかけられる人っていますよね。

それはそれでその人の魅力ということで素敵なことではあるんでしょうけれど、それよりも一生懸命自分からコミュニケーションを図ろうと自分から話しかけに行っている人のほうが僕はずっとかっこいいと思うし、話しかけられるだけの人よりはずっとずっと魅力的です。

なぜなら「自分で行動に移しているから」です。

最初に述べた通り、行動に起こせば起こすほどそれは経験値となり自分の中に蓄積されていきます。そして経験値がたまればさらに行動することに慣れプラスの循環がうまれます。

そして、そうやって自分から声をかけ行動している人は、間違いなく向こうから声を開けられる人にもなるんです。

 

まとめ

まとめるなら、、

人見知りでも、怖くても、とりあえず一歩動き、話しかけてみる。

その一歩を積み重ねつづけること。

これを続けていれば人見知り気質なままでも、人と話すことに慣れコミュニケーションをとるのがもっと楽しくなると思います。

 

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!

 

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自分とは、全く違う他者とどうやって共生していくか。 

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です^^

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考えも価値観も違う「他者」の存在

 

まず大きく<私>という存在があって、その周りにたくさんの他者がいます。

そして多くの場合その他者は自分とは考えも価値観もまったく違います。

「そんなことないよ。一緒にいる○○は考えも似ているし価値観も一緒だよ」という人は一度真剣にその人と何かについて話してみてください。お金のことでも、仕事のことでも、なんでも。

するとだんだんと自分とその人との違いが明確になってきて最終的には全然違う考えをしているんだなということがわかるかと思います。

コミュニケーションとは、「お互いが同じことを考えていることを確認するための方法」ではなく、「お互いが全く違うことを考えていると知るための方法」だと僕は思っています。

 

僕は中学校に入ったあたりからずっと他者から理解されることを望んでいました。言葉通り「ずっと」です。

このブログでも何度も書いていますが、僕は人とは違う疑問や考えを持っててそれを思春期の敏感な時期に周りから否定された経験があります。

それゆえに、そのときのトラウマ、コンプレックスが残り今も人についつい無理な理解を求めて苦しむことがあります。

 

しかしもちろんこの理解を求める行動はうまくいきません。

なぜなら他者は、自分とは考えも価値観も異なる存在だからです。

言い換えるならば自分の考えと全く同じ人なんてのはこの世の中にいないわけです。

すごく当たり前のことを書いていますが、僕はここがとても重要なところだと思っています。

自分の考えと同じ人なんていないのに、ついつい僕は(僕たちは)他者にその不可能な理解を求めるわけです。

その原因の一つとして考えられるのが、「見かけ上は分かり合っているように見える」ってのが厄介なところだと僕は考えます。

 

大勢の人が仲良く(仲よさそうに)はしゃいでいるのをみるにつけ、すごく中よさそうでみんなとも分かり合えているのに、自分は一人でなんてみじめなんだと、思い込みにより自分を傷つけているんですね。

しかし実際ははしゃいでいる人たちもその雰囲気を楽しんでいるだけであり、その実人い一人の考えがみんな一緒でつながっているってのはあり得ません。

言うなればどれだけ他者と距離が近かろうが人間は皆自分の考えと同じ考えの人はいない、という点において孤独なんです。

だから逆説できではありますが、距離は関係ないんですよね。一人でいても孤独だし、みんなといても孤独。自分は自分という思考の枠を抜け出ない、という点において人はどこにいても何をしても孤独なんです。

 

街中で複数人でつるんで大きな声をあげている若者たちや、常日頃から誰かといないと不安で仕方ない人、SNSの異常なまでのつながりを求める欲などを見るに、僕は人っていうのは多くが「自分は孤独だ」ってことに無意識に気づいていると思うんですよね。もっというと無意識に一人になって孤独と直面することを避けている、そうとも見れます。

 

しかし人は自分の考えと真に同じ人はいないという意味ではみんな孤独なんです。

こう聞くと、「そんな人生は地獄だ」と思われるでしょうか。

僕はそうではないと思います。

 

僕は自分の考えと真に同じ人はいないなら、自分の考えを大切にするのは自分しかいないなって思えるようになりました。

そして自分で自分を支えつつ、人とつながっていくそこにこそ自分とは違う他者との共生が可能になる道があるのではないでしょうか。

 

とはいえ、そもそもの「他者とどうかかわって生きていくか」っていうのはとんでもなく大きなテーマなんでとてもじゃないですけど個人の1ブログの1記事で述べきることはできません。

これらかも僕は生き続ける限りこの問いを考え続けるでしょうし、皆様もずっと考えると思います。一緒に考えていきましょう。

 

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!

 

ps.

僕個人の考えとして、これだけ「他者と私は同じ考えを抱いている」幻想が蔓延している理由に、科学の進歩が大きな影響を与えているんじゃないかと思っています。

 

科学は客観性を大切にする営みです。Aさんではうまくいったことが、Bさんではうまくいかないってことは科学では取り扱いません。

科学の台頭により心理学や言語学といった、本来はカオスな現象である言語や心に関しても人間はすべてを知ることができるのだという万能感を得始めてきました。

 

そもそも「心」なんてものが僕にはわかりません。

どこにあるのでしょうか。脳でしょうか。体の中でしょうか。心臓当たりとか?

犬に心はあるのでしょうか?犬にあるとしたら鳥は?魚は?昆虫は?もうわけがわかりません。

 

「心」に関して現代会での僕の考えは「言葉として便宜上生み出された概念」としています。

つまり「心」という言葉があると会話をするときや、説明をする際に都合がいいのです。この言葉がないといちいちえ~っとってなって先にすすまないじゃないですか。(まあ、それはそれでそういう世界も、僕は面白そうではあるなと思うんですけどね)

そのために人間が後天的に作り出した概念が心なんじゃないのかなと思います。

 

それと言葉に関しても一つ。

言葉って本来ただの音(話されている言葉)や、ただのインクの染み(書かれている言葉)なんですよね。

それをいつしか人間側が「意味」なるものをこしらえて、文法や単語、文節などいろいろ「解明」しはじめたのが僕はいい意味でも悪い意味でも「大きな誤り」だと思っています。

言葉はそんな解明しつくせるものではなく、常にカオスなんです。

文法なんて全く無視して話す人もいるし、単語の意味だってめちゃくちゃな人もいる。しかしそれでもその場で置いてはコミュニケーションが取れやり取りができる、そういうもんなんですよ。

現代は言葉を神格化しすぎているよなあ、と常々感じます。

 

それと数学、といいますが数字や記号も本来はただの「インクの染み」や「書かれたもの」だと僕は考えます。

こんなこと書いたら数学好きな人に殴られそうですが、僕は「数学の正しさ」なんていうのは「正しいとしているから正しい」、そういうものだと思ってます。つまり根拠なんてないってことです。

 

もし仮に僕の目の前に1+1=7だといって一歩も譲らない子がいるとして、僕は頑張って2になることを「教える」でしょう。

(1+1=7好きだなあ)

しかしどれだけ説明してもこの子はひきさがりません。

そうなれば、最後はそうなるからそうなんだ、というしかないです。

 

これと同じで数学の問題でも、答えが書いてあって、なぜそうなるかととにかく永遠に突き詰めていけば「そうなるかそうなんだ」と妥協せざるを得ない地点が必ずやってきます。(実際僕は学生の時しょっちゅうそうなっていたので答えとやり方を丸暗記してテストに臨んでました。)

これは言ってしまえば「論理の限界点」ですよね。

 

結局、理由や説明っていうのはそれらを用いることによって奇跡的に納得する人たちには有効ってなだけでそうではない人にはまるで効果を発しないんですね。

そう考えるとますます「正しさ」なんてものがわからなくなります。

 

実際の学者さんが頭の中で何を考えどう生活しているかは知りませんが、パンピーの僕個人の意見としては、「自分の考えを大切にする」ってことですね。

 

正しさや、理屈、正当性。論理的根拠、なんてものを持ち出して間違っている人(1+1=7と言い張る人)を貶めるような人にだけは僕はなりたくないです。

 

あ~、正しさなんか求めたくない!!

 

 

 

 

 

 

旅をすることのメリット

おはようございます!

こんにちは、こんばんは。おはこんばんにちは^^

どうもtigubaguこと桂木大輝です。

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acworksさんによる写真ACからの写真

 小さなことでも冒険と思ってる

 僕は少し外に出て買い物に行くだけでも「外の世界を冒険している」感覚があります。

よく言えば子ども心を忘れない、悪く言えば幼稚っぽさが残る、ってな感じでしょうがまあ周りからの判断はどうでもいいです。

 

とにかく僕はもともとがひきこもり気質なために少しの外出も「冒険」となるわけです。

しかし冒険が怖いってことはなく、むしろ外の世界をたくさん見てみたいという好奇心にあふれています。

だからこそでしょうか、昔から知らない土地や場所に行くことが大好きでした。

別に観光地や、有名どころに行く必要はないんです。むしろ観光地や有名どころは人が多いのであまり好きではありません。

それよりも地元民が使っているスーパーや、その街の地元民が歩く道、そんなところをバックパック一つで歩くってのがすごい好きなんです^^

 

もちろん世界を見れば僕よりもガンガン旅に出かけている人は山ほどいます。しかし僕は旅ってのはその人個人にしか経験できない良さがある、と心から信じていますので、今回は僕なりの旅をすることのメリットをいくつか紹介したいと思います。

 

旅をすることのメリット① 半端ない解放感

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            (台北の街並み 著者撮影)

 

はじめて一人で海外を旅したのは台湾でした。

桃園国際空港についてホテルまでは結構な距離があります。

ネットで調べてもよくわからず、空港の人やお店の人に聞きつつ、ホテルを目指しました。

もちろん不安もありましたが、それと同時にものすごい開放感につつまれていました。

見るもの、聞くもの、食べるものがすべて初見。

つたない片言英語でどれだけコミュニケーションをとれるのかという挑戦できる喜び。

自分一人で外国にだって来れたんだという自信。

いろんなものがごちゃまざになりとにもかくにもワクワクしていました。

というのも当時僕は狭苦しいコミュニティーの人間関係に頭をいやというほど悩まされていたので外国の地で、ここには自分も縛るものは何もない!って感じにすごく敏感に反応していたんだと思います。

 

自分の知らない場所があるってのは、「不安、恐怖すること」ではなく、「ワクワクが待っている素晴らしいこと」と思えるようになりました。

メリット② 日本の良さがわかる

 

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海外を旅した人の多くが、日本はやっぱりとてもいい国、と心から実感しています。

このことは以前記事にもしましたのでそちらもぜひ見ていただけると幸いです^^

日本の街のきれいさ、インフラの整い具合、治安の良さ、公共交通機関の時間調整のすごさ、、本当にどれも世界トップレベルです。

 

日本が海外と特に大きく違うなと思うのは、

日本はとにかくにおいがない国

なんですね。

アジアなんか旅したら一発でわかりますがどこもかしこも食べ物やら香辛料やら排気ガスやらでとにかくにおいがすごいです。

オセアニアも西欧の感じのにおいが充満していました。

別にこれはいいわるいではなく、実際にそうであるって話なだけなんですが、日本のにおいのなさに慣れていると始めて海外を旅した人は街のにおいに驚く人が多いです。

メリット③ 自分の小ささに気づく

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       インドの世界遺産 ロータス・テンプル 筆者撮影

 

言っちゃえばこれが一番のメリットですね。

そして僕が旅をすることにより求めていることでもあります。

 

よく困っている人や、つらいつらいという人に、「お前のつらさがなんだ!世界にはもっと苦しんでいる人がいるんだぞ!」という決まり文句がありますが、まあおそらくこの言葉を言っている本人はその苦しんでいる人たちの状況も見たことはないと思うんですが、とにかく実際問題僕の苦しみなんかよりもずっとずっと苦しい状況にいる人は世界中にたくさんいます。

そして実際そういう人たちの生活を見ると、自分の苦しみなんてほんとにちっぽけだなとわかります。

別に実際に貧困層の街を訪れなくても、日本に比べて発展途上といわれる国の街を歩けば大体肌で感じることができます。

 

実際僕は今ももともとが悩み体質なんですぐに、どうしようどうしようと思うわけですが、旅をしたおかげでこれでも寝る家があり、きれいな水がのめ、アマゾンプライムで動画見れるだけかなり幸せか、と思えるようになりました。

とはいえほんとにつらいときは落ち込むとこまで落ち込みますけどね笑

 

とにかく世界は本当に広いです。

自分の想像だにしなかった人、街、文化がそこにはあります。

僕は人間ってのは誰とも決してわかりあえない存在だと思っているのですが、この広すぎる世界のどこかには、この孤独すら忘れさせてくれる人がいるんじゃないかと今でも心の隅のほうで思ったりしてます。

 

ぜひ旅をしてみてください!

 

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!

 

「正しい言葉使い」ってのは気にしだすとマウント合戦にしかならない話

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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「正しい言葉の使い方」が僕をトラウマにさせた

僕自身ずっと言葉について考えてきました。

考えた、というのは言葉通りそのまんまで、考えたのであって答えを出したとか、何か新しい発見をしたとかそういうことじゃないです。

ただただ、ああでもない、こうでもないってことを考え続けていたんです。

以前ブログにも書きましたように、

  • 言葉の意味ってなんだろう
  • そもそも意味なんてあるのかな
  • あるのは言葉の形だけじゃないのかな

などなどまあいろんなことを考えました。

 

で、僕がこういうことを考えてしまう根底には、「不安と恐怖」があったからなんですね。

発達障害を持っている人(特にASD)は自分独自で言葉を作ったり、自分独自の言葉のルールに従って言葉を使う傾向が強いのです。

僕も完全にこのパターンで、自分なりの使い方をしていました。(今でもわけのわからない言葉を作っては気ごころ許せる仲間には使っています。オードリー春日さんの春日語みたいなものです。)

 

わけのわからないとは言えども、実際の場面では何となくで通じるし(普通に会話できます)、むしろ楽しかったです。

しかし世間には言葉に関して厳格なルールを求める人がいます。あげるなら、、

  • ら抜き言葉を気にする人
  • 漢字の書き順、送り仮名を気にする人
  • 敬語、謙譲語をいやに気にする人
  • えせ関西弁に始まる変な方言、変な標準語を使う人に対して異様に厳しい人(イントネーションが違う!語尾が違う!といちいち言ってくる人)

こんな感じの人たちです。

 

で、何を隠そう僕の母親が完全にこのタイプだったわけです。

まあ、とやかく言われました。

漢字の書き方、言葉のイントネーション、きれいな言葉という個人解釈の謎理論の押し付け、変な敬語とののしられる、、

それゆえか僕はいつしか言葉を自分なりに話すことにトラウマを感じるようになってきました。

その影響もあってか、「そもそも言葉とは何なんだろう」と気になって、上記のような哲学への道に走ったわけです。

 

僕の言語観~言葉は伝わればそれでいい~

この記事で言語学的に「そもそも言葉とは何なのか、意味とは何か?」なんて書き出したらそれこそキリがないですし、僕には書ききる力もないのでやめておきます。

 

僕が言葉の厳密性から解き放たれ、「伝われば、コミュニケーションが取れればいいや」と思えるようになったきっかけは言葉とは本来自由で人間があとから意味やら文法やらを勝手に人間側が見出したに過ぎない

と自分なりに気づいたことにあります。

 

詳しく話すと、赤ちゃんって最初単語の意味や文法を学んで言葉を話せるようになったわけではないじゃないですか。自然と気が付いたら話せるようになっていて、その話せるようになった言葉の使い方を人間が後天的に「文法」だの「単語の意味」だの言っているにすぎないんですね。

つまり(人によればむちゃくちゃな理論って思う人もいるかもしれませんが)、今僕が使っている言葉が仮に既存の文法通りではなく、単語の意味も辞書通りでなかったとしても、それでコミュニケーションが取れ日常生活を送れていたら、僕の使い方が新たに文法となり、単語の新たな意味として記載されるんだな、と考えました。

もちろん言葉、というのは一朝一夕で成り上がるものではありませんから、実際文法の改革、単語の意味の追加が行われるには相当の年月がかかるやもしれませんが、原理的にはそういうことです。

コミュニケーションをとれることを第一に、使い方は気にしないように努めています。

 

となると、なぜ多くの人は伝わるし、コミュニケーションもできるのに言葉の「厳密性」を求めるのか。

僕は「言葉の正しい使い方」の生末はマウントの取り合いだと思う

これだといった理由はないとおもいます。

しかし、実際厳密性を求めだすと、相手が間違った、自分は正しい言葉を使っている!ドヤ!みたいな感じになってマウントの取り合い合戦にしかならず、そういう空間はすごく息苦しいです。

それよりも間違ってても変でもいいからコミュニケーションできることを楽しめるほうがずっと楽ですし、なにより言葉の本質にかなっています。

英語も僕は厳密な英語じゃないと馬鹿にされるとこよりも、移民がたくさんいて英語の方言がごちゃまぜで日本英語でも受け入れてくれる場所のほうがずっと好きですね。

 

もちろん「言葉が正しく伝わらないと、間違った解釈を起こす。だから指摘するんだ」という人もいると思います。

これに対して僕は、結局言葉が受け入れられるかどうかはその社会や共同体が(細かくいって人の集まり、コミュニティー)寛容かどうか、だと思うんです。

 

間違って伝わっても間違ったってわかった時に話し合えばいい、考えればいい、とする立場なのか、

とにかく正しくすべて伝わらなければいけない、とする立場なのか、

 

要はその人がどういったことを信念に生きてるかだと思うんですよ。

だからこそ、僕自身は人の言葉の使い方にはできるだけ寛容でいようと思っています。

変な方言の使い方だろうが、ら抜き言葉だろうが、敬語を間違ってようが(敬語とため口の区別くらいはつくと思います。)、それでコミュニケーションが取れるなら、それでいいんです。

よくエセ関西弁を話す人が腹が立つと聞きますが、それも結局は個人次第というか、僕も相手の言葉の使い方に違和感を感じても受け入れるよう努めています。

逆もまた然りで、僕が相手にとって違和感のある言葉を使っていても相手は気にしないでいてくれているかもしれませんしね。

 

長くなりましたが、言葉が寛容であればあるほど、コミュニケーションはもっと楽しくなると思います。

 

今回は以上です。

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!

 

ps,

そもそもなんですが、

絶対正しい言葉の意味、という想定が僕はよくわかりません。

もっというと、「言葉が通じるとはどういうことか」ってのも考えてみると奥がもんすごい深いです。