「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

絶賛落ち込み期

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

 

絶賛落ち込み期です。

少し前までが梅雨時期にも関わらず調子が良かったので、そろそろ反動が来るなと思っていました。

やっぱりしっかりと反動はやってきました。

 

落ち込み期に入るとまず頭が動かなくなります。

複雑なことが考えられなくなるのです。

そして、日常の多くのことへのやる気を失います。

掃除洗濯炊事などの家事から、英語の勉強、読書、ここらへんのことへの意欲が格段に落ちます。

やる気があるときと、落ち込み期の自分はまるで別人のようです。

(どうやらこの現象はADHDの人にとってはかなりのあるあるみたいですね)

 

そして落ち込み期最大の特徴は、「細かいことが異常に気になる」です。

かなりこういう類のこだわりに関しては対処がうまくなってきましたが、頭は依然もやもやとしています。

逆に言うなら頭がもやもやしだして、こだわりが強くなってきたら落ち込み期が始まった合図ととらえています。

今回も4,5日は抜け出すまでにかかりそうです。

 

今日もよろしくお願いします。

 

挨拶が元気よくできたときのスタートダッシュは最高

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!

 

 「おはようございます」一言でエンジンがかかる

「おはようございます!」と僕が言って、相手からも「おはようございます!」と帰ってきたとき僕の体のエンジンが駆動します。

挨拶をすることってメリットが多すぎて書けないくらいメリットがあるんですよね。

挨拶は本当に「やり得」です。

 

挨拶をしていて「あいつ感じ悪いな」と思う人はいません。

仮にいるとしたらそう思う人が感じが悪い人です。

挨拶はタダだし、フレーズも短いし、すぐに言えるし、まじでやり得ですね。

Good morning,Have a good day,Have a grate night「相手を思う」英語の挨拶

英語の挨拶って、「good」などのいいイメージを喚起する言葉が多いんです。

「good morning」も直訳すれば「よい朝を!」となって相手1日の始まりの朝をよいものにしてほしいという、相手を思いやるフレーズが使われています。

 

日本だと別れ際に「お疲れ様」っていうじゃないですか。

僕「お疲れ様です」が好きじゃないんです。

疲れてもいねえのに「お疲れ様です」とか言われたら「別に疲れてねえし」と思いますし、疲れていたとしてお疲れ様ですより、「Have a nice afternoon^^(よい午後を!)」と言われたほうが嬉しいです。

お疲れ様ですは英語にしたら「Please,tack care of your body(お体を大切に)」みたいな感じになるんでしょうかね。

 

よい一日にしてね!

いい別れ際の挨拶だと思うんで日本でも使ってきません??

 

今日もよろしくお願いします。

やっぱり人生は自分を知っていく旅

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!

 迷いに迷って、それでも進む

ずっと迷っている。

いろんなことを迷っている。

これからの人生をどう生きていくか、今の歩み方で理想の自分へ近づけるのか、などの大きな迷いから、今日の晩御飯なんにしようか、ご飯にかけるなら納豆がいいかキムチがいいかそれとも両方かけるか、などのとても小さい迷いまで、とにかく大小さまざまな迷いの毎日を僕は今生きている。

 

人生が厳しいなと思う大きな要因は「迷うためのだけの時間をくれない」ことだ。

迷いがあろうがなかろうが仕事に行かなければ行けないし、仕事をしていなくても家事をしなくちゃいけなかったり、トイレに行かなければいかなかったり、なんにせよ「迷うためだけの時間」というのは人生には含まれていないんだ。

 

だから迷いながらでも進まなきゃいけない。

「どれだけ逃げても明日は知らん顔でやってくるさ~♪」と嵐も歌っているように、迷っていても明日は必ずやってくるんだ。

自分のことを知っていく旅

迷いながらでも生きていく行為は、「自分のことを知りつつ生きていく」ともいえる。

「迷う」ってのは「自分のことがわからないから起こる」んだ。

でも迷うためだけの時間は取ってられないから、迷いながら、自分のことがわからないながらでも生きていくしかない。

そして生きていく中で自分のことを知っていくしかない。

いうなれば人生は「自分を知っていく旅」だ。

 

僕はここに歳をとることの魅力があると思う。

歳をとればとるほど、自分のことをたくさん知れるんだ。

自分のことを知れば知るほど迷いも減っていく。

だから歳をとるほど生きやすくなると思っている。

(実際は自分のことを知れば知るほど迷いも増えていっているという人もいるから本当に人間って面白いですよね。)

「今ある自分」を肯定しつつ、「なりたい自分(理想の自分)」に近づいていく

「迷い」ってのはそもそも自分に目標や、理想、あるべき自分ってのがないと思う。

自分がどうなろうと知ったこっちゃない、どうでもいい、って本心から思っている人には迷いってのは発生しないんじゃないかな。

別に自分のことを知らなくても困らないから。

「なりたい自分」ってのがあるから、今の自分をどう成長させればなりたい自分になれるのかを考える。

その際に「今ある自分」ってのを考えてもわからない。だから迷う。

これでいいのか、自分は本当はどうしたいのかと。

 

「なりたい自分」と「今ある自分」の関係。

なりたい自分は往々にして今ある自分を責め立てる。

「おいもっとがんばれよ!」、「そんなんじゃだめだぞ」

そしてもっともっと迷いにはまっていく。

 

自分を知るために迷うことは大切だけれど、それでも程度、バランスはある。

なりたい自分は自分の成長、そして自分を知っていくための迷いを発生させるものとしても大切な存在だ。

しかしそれが過度に今ある自分を否定してくるようら関係性を考えねばならない。

なりたい自分に近づきつつも、今ある自分の肯定を忘れない。

この意識を心がけたい。

 

 

長くなりました。

この文章を書いていて、やっぱり人生ってのは自分を知っていく旅なんだなと思いました。

 

今日もよろしくお願いします。

上には上がいるから比べだしたらキリがない

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

f:id:dotama-kotoba:20210612200422j:plain

 サンフランシスコの天才たち

プログラミングをやってるとGoogleで働いている人って本当にすごいんだなってことがよりわかってくる。

Googleについての書籍や映画はそれこそたくさんあるから、そのすごさは別にプログラミングをやってるやってない関係なく知ることはできるけれど、やっぱりプログラミングをやってるものとしてプログラミング界のトップは意識してしまう。

 

本当に天才たちがそろっている。そろっているんだろう。

僕程度の頭では彼ら、彼女らの天才度を推し量れないから推測の形になるくらい天才たちだ。

なぜ運万行もするソースコードの形をものの数分で把握できるんだ、未来が視えているのか!?(視えているんでしょう)

 

僕は性格もあってか自分の知っている狭い世界の中で、数少ない人たちと自分を比較しているけれど、マジ物のガチ物の天才とは当然だけれど比較するきすら起こらない。

比較をしてしまうという時点で自分が狭い世界の中で奮闘していることを示しているのかもしれない。

世界はとんでもなく広い。

自分の想像力なんてとても及ばないくらいすごい人たちがどんな分野にもたくさんいる。

その人たち全員と自分を比較なんてとてもじゃないけど僕にはできない。

上には上がいる。比べだしたらキリがない。

「自分は自分」1億回はきいたこの言葉

かといって、「自分は自分だ!俺はこのままでいいんだ!」と自分に言い聞かせるのもとても難しい。

人間は成長したい生き物だ。刺激を求める生き物だ。

自分は自分、このままでいい、と停滞するわけにはいかない。

 

だから自分は自分だけれど、今の自分とは違う自分に自分のペースで日々前進していける、ってのが理想かもしれない。

もちろん「今の自分で満ち足りている。」と心の底から思えたらそれが一番な気もするけどね。

「比較」を前に進むためのエンジンにできればいいな

比較をすると多くの人が自己否定に走ってしまうから、とかく「比べるな」と言われるけれど、比較をすることにより悔しかったり、負けるかと思いモチベーションアップにもつながることもある。
だから比較することを自分の成長のために利用することができれば一番いいのかもしれませんね。

それでも天才たちとは比較したくないけどね。

 

それと今の日本の競争社会の中で真に「比べるな」というのは無理でしょう。

生まれた時から比べ倒され続けてきて、急に「比べるな」は体が付いていかないよ。

「比べるな」と言っているあなたも今その時点でたくさんの人といろんなことを比較していると思う。

「比べる」ことの上に成り立っているのが今の社会であるなら、その中で比べることからは逃げられない。

逃げられないけれど、いい付き合いを模索することはできると思う。というかできなきゃ困る。

俺が人と比較しない時っていつかなあ・・・

 

今日もよろしくお願いします。

 

 

努力を努力と思わないこと/そもそも努力をしないで継続すること

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

 

 「俺こんなに頑張っているのに!」が満たされぬ承認欲求を生む

自分の行動を「努力」とみなした途端、「頑張っている⇒報われるはずだ」の論理式が顔を出してくる。

しかし努力は当然だけれど、報われることもあれば、報われないこともある。報われないことのほうが圧倒的に多い。それに報われるにしてもそれ相応の報われない期間を必要とする。

だから僕は自分自身の行動に対して「努力をしている」と思わないことにしている。

「努力をすること」は「達成したい目標」に対しての手段であって、間違っても努力すること自体が目的ではない。

 

僕の場合だけど、僕は「努力しているのに!」と思ってると承認欲求が僕の心の中で大暴れを始める。

今はSNSは一切やっていないし、極力無駄な情報からは距離を置くようにしているの以前ほどは承認欲求はしげきされないが、少し前はそれこそすごかった。

自分が「頑張っているんだ!」ということをこれでもかと周りに知らしめたくて、そして自分にも「頑張ってんだから大丈夫!」と言いきかせたかった。

周りからすれば知ったこっちゃねえって話なんだけど、そんなことを思う余裕はなかった。

 

努力は手段であって目的ではないし、なんなら「努力をしているのに!」という気持ちに振り回されるくらいなら努力なんてしなくていい。

頑張らないで済むならそれに越したことはない

努力しないで済むなら本当にそれに越したことはない。

もっというと、努力しないからこそ自分のペースで続けることができる。

「努力」ってのはどこか車で言うところのアクセルを前回に踏んで前進しているイメージがある。

常にアクセル踏みっぱなしじゃ曲がり角を曲がれないし、なにより一瞬でガソリンがきれてしまう。

長距離を走り続けるためには一定の速度で、なるべくゆっくり、安全運転で行くのが一番だ。

 

ここ最近のブログで書いているけれど、

努力しないでも継続さえしていればなにかは身につくので、僕はもう無理して努力しないようにしている。

逆に言うなら、「あ、俺努力してるな」と感じた時が休み時ってことだ。

全部自分のためです。

努力するのも、しないのも、全部自分がどう成長するかに関わることだから要は自分で選ぶことが大切。

自分で選択して、自分がどうなっていきたいかを考えれば、「自分」と「努力」との付き合い方もおのずと見えてくる。

 

今日もゆるくいきます。

今日もよろしくお願いします。

どれだけ世界が早くなろうと、俺の成長は”ゆっくり”なんだ。

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

f:id:dotama-kotoba:20210610202534j:plain

 ツールやメソッドは増えたけれども

スマホ、パソコンをはじめとする様々なデヴァイスツール。

現代ではこういったツールの数が日夜増していっている。

 

メソッド(方法)もそうだ。

ツールであるパソコンで「英語 勉強法」と調べたらそれはもうたくさんの英語の勉強法に関するウェブページが出てくる。

「Aが絶対正しい!Aじゃなきゃ身につかない!」と書いてある記事があるかと思えば、また別の記事では「Z以外の方法は時間の無駄です」と書いてあるものもある。

おいおいどれが一体正解なんだい。

 

ツールやメソッドがこれだけ増えてきているのだから昔より簡単に「頭がよくなるか」といえばそういうわけでもない。

(「頭がよくなる」の定義はそれこそ人によって違うけれどゆるく「何かしらのスキルがあったり、論理的に考えられたり、自分の考えをまとめて話せたり、そういった類のことができる人」くらいに考えてほしい)

ツールやメソッドは結局のところは「道具」であり、「方法」でしかない。

大切なのは一人一人がそれらをどう自分で使っていくかなんだ。

身に着けていくスピードは一定のまま

僕自身、これだけ周りがツールやメソッドにあふれかえっていても実際に何かを勉強するとなったら「1冊の本をしっかりやる」とか「この1つの方法をやってみる」とかで、いいか悪いかは別として子どものころからそのスタイルは変わっていない。

いやむしろ子どものころは新しいもの好きだったからいろんな勉強法に手を出したり、やりもしないのににたくさん参考書を買っていた時期もあった。

だけどそれでも実際にやるとなったら同時には何冊も参考書をやるわけにはいかないから1冊ずつやることになるし、勉強法もいろいろなものを試すけれど1回につき1つの勉強法しかできないことには変わりない。

 

それに、いくらツールやメソッドが増えてたくさんあったとしても、知識やスキルを身に着けていくスピードは昔も今も一定、たくさん時間がかかるんだ。

僕だけじゃなく、よっぽどの天才とか物覚えのいい人以外はそうだと思う。

なかには「爆速で身に付く○○メソッド!!」なんてうたってるのもあるけれど、それにしても「爆速」と言われている間はそのメソッドを用いて勉強しなければならない。

当たり前だけど。

 

何が言いたいかというと、ツールやメソッド、なんでもいいけれど何を選んだにしてもスキルや知識、もっと言うと人の成長には時間がかかるってこと。

時間がかかることをもはや絶対悪のように捉えていえる風潮が今の社会にはあるような気がしてならないんだけど、僕は人の成長には時間がかかって当然だと思う。

なんでもかんでも早くやろうとすると、ちょっとやって成果が出ないだけで「このやり方あってんのかな?」と不安になってしまう。

そして山ほどあるメソッドを試しては辞め、試しては辞めを繰り返す。

そうじゃなくてどんなやり方でも、どんなことでも、一定の成長が見込めるにはそれこそかなりの時間がかかるんだ。

下手くそなりにやり続けたら何かしらの成果は出る

それに僕は「どんなやり方でも下手くそなりにやり続けたら何かしらの成果は必ず出る」と思ってる。

いついつまでに、とか、ここまで達成しないと成果とは言わない!とかだったら話は別だけれど、「成果が出る」という1視点から見ると、どんな人でも、どんな物事でも、どんなやり方で、一定時間やり続ければ必ず成果は出る。

 

僕なんかおよそ5年間ポケモンをやっていてようやくここ最近パーティ構築の基礎がわかってきたくらいだ。(おいまじか! まじだ。)

それに最近がポケモンやってきた中で一番オンライン対戦で勝てている。

とにかく5年間やり続けた(ゲームだけど)。

始めて1か月の人に負けることなんてしょっちゅうあったけれど、でもやり続けたら成果は出た。

 

ゆっくりでいい。

ゆっくりでも、ほんのちょっとでも、歩み続ければ何かしらの形で成果は出る。

とてもゆっくりかもしれないけれど。

 

どれだけ世界が早くなろうと、僕の成長は”ゆっくり”だ。

 

 

今日もよろしくお願いします。

 

 

後発組は自己鍛錬するしかない!

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

 「なんでもうまくいく人」はいる

世の中なんでもうまくこなしちゃう人はたくさんいます。

隣の芝生は何時見たって青々としています。

 

最初から何もない僕のような後発組が何かスキルなり、力なりを得ようと思ったら、もう自己鍛錬するしかありません。

毎日継続するなり、決めた量をこなすなり、内容はなんでもいいですけれど、自分で訓練していくしかないです。

僕は先に動かないとわからないタイプだった

自己鍛錬するにあたり現代はこれだけネットが発達していますから何でも調べることができます。

「勉強 いい方法」とか「継続 コツ」とかですね。

これは僕の場合ですが、僕の場合はいくら最初にそういったメソッドを考えていても一向に自分に合うものが見つからなかった。

というか僕の頭じゃそもそもそういったメソッドのやり方がすでに理解できなかったりするんです。

だからとにかくやってみるしかなかったんです。

このやり方が合っているのか、間違っているのか、これでスキルが身につくのか、身につかないのかはわかりません。でも、やり続けるしかないんです。

 

ここで1つ発想の転換じゃないですが、僕は気楽に考えるようにしました。

もちろんスキルは身に着けたいし、社会の生産性に貢献できるような人間になりたい。

そのために勉強もしているし、継続もしている。

 

しかし何を隠そう僕は容量も悪いし、物覚えも、モノの理解のできもてんでダメだ。

こんな僕だからもしかしたらやってもスキルは身につかないかもしれない。

だから「継続した!なのになんでスキルが身につかない!?」じゃなくて、「継続した!しかもスキルも身についた!ラッキー!」

くらいの軽い感じで取り組むようにしています。

 

「スキルが身につくかもわからないのに、継続するそんなやり方無駄じゃねえか!」という声が聞こえてきそうですが、そんなことはありません。

なぜなら(名目上)スキルを身に着けるということで継続するためのやることがあると、自分の人生から暇がなくなるからです。

 

そう、「自己鍛錬する」という表の理由は「スキルを身に着ける、生産性を高める」ですが、裏のもう一つの理由が「人生から暇をなくす、日々の毎日に意義を見出す」ってことです。

暇というのは、ないのはもちろんつらいですが、ありすぎたら言葉通りまさに地獄です。

暇になったとたん心の中のネガティブモンスターが襲ってきて、自己憐憫に陥ります。

だからそんな暇を極力なくす、または暇といい付き合いをするために、自己鍛錬があるのです。

自己鍛錬、言い換えるなら自分一人の時間をどう自分のために使うか、です。

時間がありすぎて困っているという方は騙されたと思ってなんでもいいんで勉強をしてみることをお勧めします。

その際結果は期待しないのもポイントです。

ただ時間をつぶすために勉強をする、そしてその副産物としてスキルも身に就けばラッキー、くらいのスタンスで勉強をしてみると案外楽しかったりします^^(これはほんとに!)

「がんばらない」のももちろんいい

だけれどもそうはいっても自己鍛錬なんてめんどくさい。

自分は毎日気楽にゆるゆる生きたいのさ~。

という方は全然それもありです。(僕がありっていうのもおこがましいんですけれど)

 

僕は本気で「がんばらないってのは強さ、才能」だと思ってます。

現代のような熾烈極める競争社会の中で、だれもかれもが口を開けば「がんばれ」という日々の中で、意図的に(もしくは無意識に)「がんばらない」を選択できるのは強さです。

これ以上はがんばりたくないのに自分でもがんばってるかどうかの判断もできないくらいがんばっている人がどれだけ世の中に存在するか。

 

がんばらないと不安になるように今の社会はできています。

だから書店にも、どこにも、「がんばってがんばらないようにするための方法」があふれかえっています。

がんばらないに堪える力は今の僕にはないです。

がんばっていないと心の闇に飲み込まれてしまいそうで怖くて怖くて仕方ないのです。

 

自己鍛錬について書きましたが、がんばらずに毎日の人生を緩く楽しめるならそれはすごい才能です。

僕は今がんばらないための方法をトライ&エラーしています。

 

 

長々と書きました。

今日も僕は日々のやることをやり、家に帰り大好物の鳥の胸肉を食べます。

今日もよろしくお願いします。

 

 

週1のマックのハンバーガー

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

先週の火曜日と、今週の火曜日、週一でマックのハンバーガーを食べています。

毎日自炊の中で週1でも食べるマックはすごいおいしさです。

マックってほんと「味」がありますよね。

自炊の料理って味が薄かったり、なかなかおいしい~!って思えるほどついてなかったりするんですが、マックはちゃんと味がある。

週1でハンバーガーを1つと+サラダを買うためにマックに行っています。

 

はい、今日もよろしくお願いします。

幸せの基準値は低いほうがいい

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

f:id:dotama-kotoba:20210607190946p:plain

 

 着る服があり、食べるものがあり、寝る場所があるだけで

つくづく思うのが、「着る服があり、食べるものがあり、寝る場所があるだけで」十分幸せだなってことです。

夜寒い日にゴミ出しに行ったときなんかは(福岡は夜のごみ回収が基本)、本当に寝る家がある幸せを痛感します。

お金もない貧乏1人暮らしですからご飯は毎食自炊。

だからこそ、たまに食べる2000円するピザがおいしくて仕方ないんです。

 

衣食住で絶対的にすべてが満たされる!とはもちろん言いませんが、

衣食住があるからこそ、「彼女ほしい~」とか「友達作りたい~」などの悩みをきちんと悩むことができるんです。

悩めるだけで十分幸せな位置にいるのです。

1つうまくいかないと全部だめなのか?

僕もしょっちゅうあるんですが、なにか1つがうまくいかなかっただけで全部がダメになったと思ってしまうこと。

本当は全くそんなことないんですけどね。

全くそんなことないのに、「もうだめだ!」と思ってしまうこと自体、(逆説的ではありますが)すごく幸せなことかもしれません。

ガリガリ君当たったら最高じゃないですか

ガリガリ君最近買ってないんですけど、僕ほとんど当たったことないんですよ。

当たったら最高じゃないですか。

ガリガリ君当たったら最高って思えるくらい幸せを感じる基準値を低くしていたほうが、自分の周りに幸せがたくさんあふれてくると思います。

 

今日もよろしくお願いします。