「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

何も書くことがない

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

な~んも書くことがない。

そんなこというなら毎日書くことがない中で頭をひねり出して書いているわけだけれども、今日はいつも以上に書くことがない。

タイミング、モチベーション、いろんなことが重なり合ってこのブログにおける凪みたいな状況が訪れる。

 

僕ももっとブログで毎日食べているご飯の写真とか、

簡単ずぼら飯の作り方とかやってみようかな。

案外伸びるかもしれない。

実際ずっとまえ札幌塩ラーメンに納豆をいれて食べる「納豆塩ラーメンの作り方」をブログで紹介したらかなり伸びたので、食べ物系は伸びる傾向にあるのかもしれない。

 

てことで、今日はこんな感じ。(どんな感じだ?(笑))

 

今日もよろしくな。

覚悟という言葉が好きだ

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 覚悟という言葉

覚悟という言葉が好きだ。

自分の生き方を貫き通す、という感じが伝わってきて生きる気力をもらえる。

 

迷いや、不安や、恐怖を感じてしまう原因の一つに”覚悟が決まっていないから”というのがあると思う。

自分の考えを貫く覚悟。

信念を曲げない覚悟。

 

僕はまだまだ覚悟が決まりきっていないから常にふらふらとぶれ続けている。

若いうちほどたくさんぶれていろんな考えをもったり、経験をしてみることが大切だとは思うけれど、年を重ねるにつれてやはり覚悟が決まっていたほうが生きやすいんだろうなとは感じる。

 

目下のところ僕は今「人生を仕事にかける覚悟」が決まっていない。

シンプルに働くという覚悟でもいい。

このままずっと働いて、自分という肩書ではなく、仕事での肩書になっていくということがとても怖い。

それに周りの多くの日々働いている人たちがこういったことをしきれているというのが僕はとにかく驚きなのだ。皆さん本当にすごいです。

 

覚悟が決まるときというのは「これしかない、やるしかない」と悟ったときだ。

だからどれだけ大変そうに思えても現実がなんとなかっているならなかなか行動は起こしにくい。

今のままの現実でいいならそれはそれでいと思う。

「なんとかしなきゃ」とはっぱをかけてもなかなか行動には移せない。

僕の場合だと、なんとかしなきゃよりも、いったん焦りも消え落ち着いて、ちょっとやってみるかな?くらいで行動に移しているときが一番多い気がする。

最初の1歩は軽めに行こう。

 

なんか話ずれたな。

 

今日もよろしく。

安心して帰ることができる場所がほしい

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 親と接することができない

親元へ行けない

親と会えない

子どものころ親から植え付けられたトラウマのせいで親と会えない。

地元にいい思い出は何もなく、行くこともない。

 

親との関係は人間関係の中でもトップクラスに難しい。

現代では親との問題を抱えている人もたくさんいることだろう。

それと反対して世間では「親子の絆のすばらしさ」なるものを売り文句として宣伝したおしている。

親子の絆がどんどん希薄になっているからこそ、それと反してすばらしさを訴えているのかな。

帰る場所がほしい

実家には帰れない。

僕には帰る場所がない。故郷もない。

 

笑顔で、生まれ故郷に、帰ることができる人を僕はずっと羨ましいと感じている。

大学1年の時は周りが家族&地元大好き人間ばかりであまりの孤独さに一人泣いていた。(クリスマス、正月)

社会人になり同じく家族の元に行けない人とも知り合うことができようやく少しは落ち着いたが帰る場所の無さは今も僕にさみしさを与えてくる。

 

安心して帰ることができる場所がほしい。

 

今日もよろしく。

自由

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

毎日を生きることに必死になりたい。

生きるために食べる、なんてシンプルなんだろうか。

「こうあらねばならない」、「こうすべきだ」といったことから逃れて自由になりたい。

 

仕事をして、結婚をして、出世して・・

ひきこもらずに外に出ろ・・・

空気を読め・・・

もっと努力しろ・・・

 

こんな価値観から遠く離れたところにいたい。

正しい/間違っているじゃなくて、正しいも間違いも関係ない世界にいたい。

 

自由に生きたい。

自分に由って生きる。

 

今日もよろしく。

何をしてもめんどくさい時

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 それは突然やってくる

何をしても無意味だと感じられる。

何をする気も起きない。

そんな何をしてもめんどくさい状態(以下頭文字をとって NMJ と呼ぶ)に陥ったことが誰しもあると思う。

 

あれほんと何なんだろうな。

急にやってくる。そして1度やってきたらすぐには離れない。

とても厄介なやつだ。

 

僕は最近NMJに2日に1回捕まってしまう。

もうほんと何をしてもめんどくさい。

焦燥感だけはある

じゃあずっとベッドで横になればいいかというとそうでもない。

何をしていてもめんどくさいけれど頭だけはフル回転しているもんだからNMJになっていると焦燥感だけがどんどんつのってくる。

なにかしなきゃなにかしなきゃという焦燥感はとどまることをしらない。

体は動かないが、頭だけは動いているというのはなんとも性質の悪い話だ。

結論:気長に待とう

今のところの結論としては頭の中の焦燥感には焦燥させるだけさせておいて気長にNMJから解放されるのを待つのが一番だ。

ほ~んと時間はかかるんだけどね!

 

今日もよろしく。

頑張らなくても幸せにはなれるのか?

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

「頑張れ!」とこの現代日本に生きていると言葉通りあちらこちらから聞こえてくる。

頑張ることが当然であり、頑張らないと生きている価値がないみたいに。

 

じゃあそうやって毎日をしゃらがむに頑張っている人がみんな幸せ(そうに見える)かというと全くそんなことなくて、むしろ不幸な人の方が多い気がする。

みんな幸せだったらこんなにもみんなイライラしないはずだ。

もっと心に余裕があるはずだ。

 

頑張らないと幸せにはなれないのか?

最近この問いを僕は抱えている。

僕は単発的な頑張りならできるがすぐに燃料が尽きて長期的な持続する頑張りはしきらない。

それにその単発的な頑張りというのも、人並み以下というモノだからそもそも世間的にみれば「頑張った」にも入らないかもしれない。

そんな僕だからこそ世間や社会の言う「頑張れ教」にはどうしても賛成しかねてしまう。

というか賛成してしまったら僕はどうやって生きていけばいいんだ。

だから僕は自分を守るためにも「頑張らなくても幸せになれるのか?」という問いを抱え続けている。

 

頑張らずに幸せになるための大きな条件は、「人と比べないこと」だろうな。

人と比べたとたんに今の自分を否定することになる。

しかし現代日本、ひいては先進国の資本主義社会では不安をあおり、人と比較させ、今の自分ではいけないと思い込ませることにより経済をガンガン回している。

そんな状況に身を置いている中で完全に人と比べないようにして生きる、というのはほぼほぼ無理だろう。

でもすべて無理というわけでもない。

人と比べないようにできる範囲での努力はする価値はあると思う。

まずはここからだな。

 

俺は頑張りたくない。

頑張らずにできることだけやって幸せになれるならそれでいい。

 

今日もよろしく。

 

ずっとスターになりたかった

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

 「自分は特別だ」という迷信

スターになりたかった。

ずっと「自分は特別」と思っていた。

まわりはそうかもしれないが自分は違う、という気持ちがどこかにあった。

しかし現実はそうではなかった。

ことごとく思い通りにならないことばかり。

僕もご多分に漏れずOne of Themだった。

 

僕の場合「自分は特別だ」と思ってしまう経緯には「変わり者で輪に入れなかった」という経験が大きく影響している。

変わり者で輪に入れなかったときに、自分は輪に入れないダメなやつと思うとつらすぎるので輪に入れないことに特別な意味を持たせて「俺は周りとは違う特別なやつなんだ。」と思い込むようにした。

 

実際は、小さな世界の輪に入る、入れないなんて社会からしたらあまりにも小さい。

「自分は特別だ」になるためにも当然努力はしなければならない。

小さな世間の中での変わり者くらいじゃ「特別」にはなれっこないのだ。

何者でもない自分との対峙

大学生が終わり、働くとなったときとんでもない恐怖が襲ってきた。

所属する場所がなくなる、そんな感じの恐怖。

そして自分はこの先何も変わらぬ、みんなと同じ道を進み、死んでいくのか、ということが怖くてしかたなかった。

 

今も怖い。

今は定職にはついていないけれど、定職に就くとこれからの人生がすべて見通せてしまいそうでものすごく怖くなる。

ワクワクもドキドキもなくなってしまうような感じがして怖いのだ。

 

それでも、生きていくためにはお金を稼いでご飯を食べていかなければならない。

「桂木大輝」という名前で生きるのではなくて、「どこどこの○○」という風に肩書で生きていかなければならない。

僕という個人ではなく、僕がどれくらい社会にとって生産性のある人間かだけをみられる。

とても怖い。

生きるために食べる

最近世界各地の先住民族についての本を読んでいるからか、生きるためにご飯を食べることのシンプルさに惹かれている。

 

僕(僕たち)はなんのためにお金を稼ぐのか。

それは第一にご飯を食べるためだ。それが最低限であり、最も大切であり、命にとって欠かせない部分である。

ならお金という媒介を通さなくても直接食べ物をとればそれでいいんじゃないのか。

いわゆる自給自足というか。

 

先住民族のような暮らしだったら自分は何者か、とか悩まないのかな。

「生きるため」がすべてであり、そこには「なんのために生きるのか」なんてこともきっとないんだろうな。

すべては生きるために行われる。

 

先住民族の人たちにひきこもりの人はいないという。

なんだかわかる気もする。

スターになるとかならないとかもないんだろう。

 

今日もよろしく。

疲れすぎてつらい

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

 とれない疲れ

もとも体力がない。それに加えて精神力(メンタルの強さともいうのかな?)もてんでない。

持久力もなければ、瞬発力もない。

ないことづくしだ。

無いこと尽くしな僕だけど、そのくせして早く社会に出て働いて世間に認められるようになりたい!という気持ちだけはなぜかとてつもなく強いのだ。

 

焦っている。とんでもなく焦っている。

早く早くという気持ちが止まらない。

社会復帰をして、仕事をして、一人前の人間になりたい!とずっと焦っている。

なにが社会復帰化も、一人前の人間かもわからずにずっと焦り続けている。

 

そんなこんなで最近は基本的に休みなく何かしら動き回っていた。

そしたら気づいたら倒れていた。

毎日の日課であるキャスをだんだん開けなくなっていた。

疲れが全く取れていない中動き続けると倒れることはわかっているのに動き続けた。

 

自分でもこれじゃあ何がしたいかよくわからない。

僕は何がしたいんだ?

休む、寝る

休むことが一番だ。

そのためにはしっかりと寝ることが一番だ。

うん、寝よう。

 

今日もよろしく。

悩むのは体力が余っているから

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

がっつり体を使って疲れている日は何も悩むことなく眠れる。

いや、もっと詳しく書くなら一応ベッドに入ると悩みのスイッチは作動するがその悩みに引きずられることはなく一瞬で眠れる。

 

悩むにも体力がいるんだ。

体を動かさない人ほど悩んでいる人が多いような印象を受ける。

おそらくだけれど、人間ってのは1日の中でこのくらい体力を使わないと眠れないっていうボーダーラインみたいなのがあって、身体を動かさないと余った体力を無理やり悩むことで消費しようとしているんだろうな。

 

一日中家にいるときなんかは頭の中は悩みごとのオンパレードだ。

次から次に悩みごとが襲い掛かってくる。

体を動かすこと、大切だな。

でも個人的に一番体力を使うのは良くも悪くも人と関わるとき

人とがっつりかかわった日ほどよく眠れるし、余計なことを考える体力もなくなっている。

人と関わることにはいろんなメリットがあるんだな。

 

今日もよろしく。

 

 

泣けなくなっている

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

 涙が出ない

20歳を超えてからだろうか。

たんと涙が出なくなってきた。

いやもちろん出るには出る。

痛かったり、本当に命の危機があったり、生物の本能として出るときには出る。

あと感動した時にも出る。

 

出ないというのは、「人生つらいつらい!助けて!」と一人夜中に部屋で出す涙の類である。

別に出ないならでないんでいいんだけど「涙活」という言葉にもある通り涙を流すという行為にはとても大きなデトックス効果がある。

だから苦しくて苦しくて仕方ない時「今涙が出たら幾分かは楽になるんだろうな」と感じたことが何度もある。

 

枕を夜中にばんばんたたきつけても涙は出ない。

一人椅子に座って上を見ていても涙は出ない。

辛い時、苦しいときに涙を流せなくなったのには世間が要求する「男らしさ」の「男は泣くな!」が影響しているんだろうか。

かつて大学の時の恩師が「年を取ればとるほど涙は本当に出なくなる」と言っていた。

僕もこれからもっと涙が出なくなるのだろうか。

なんだかすごく寂しい。

 

今日もよろしく。

「みんな」を恐れる

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

「みんな言ってるよ」

僕にとってこの言葉の破壊力はすさまじい。

冷静に考えれば、まずその「みんな」というのは誰のことを指しているのかわからないし、仮に何人か候補をあげられたとしてもその全員が全く共通のことを言っているなんてことはほとんど起こりえない。

それなのに「みんな言ってるよ」の言葉を目にしたり、耳にしたりするとたじろいでしまう。

 

面と向かって顔も名前もなにもかもがわかっている人から1回ひどいことを言われるのと、

誰が言ったかはわからないけれど誰かが自分のことをひどく言っている、

では、間違いなく後者の方がダメージはでかい。

 

前者はその場では傷つき嫌な思いはするものの、きちんと誰が言ったとか、どういうことを言われたとかがわかるので余計な心配をする必要がない。

しかし後者はわかってないがゆえに負の想像力(ネガティブイメージ)が活発に活動を始めてしまい、長期間にわたって苦しめられることになる。

「あいつが言ったのかな」「こんなふうに思っているのかな」、考えてもどうしようもないことを永遠と考えてしまう。

自分を一番苦しめるのは自分なのだ。

そしてその自分を苦しめる思考をスタートさせるのに「みんな言ってるよ」はすさまじい効果を発揮するのである。

そして現代のネット時代における匿名性がこの自分を苦しめる思考に拍車をかけている。

SNSで仮に何千人という人に匿名で否定されると、それこそ全人類が自分のことを否定しているかのように感じてしまう。

実際はしょぜん千人単位なんで全くそんなことはないんだけれども、体感としてそう感じてしまい、自分を苦しめる思考は大暴走を起こす。

(話はそれるけれどインターネットの良くないところとして、「それが世界のすべて」と感じられてしまうというところがある。検索という中の小さな条件の中でのことなので余計にそう感じてしまう。)

 

ここ最近前にもましてより一層自分で自分を苦しめる思考をする回数が増えたように感じる。

「なにもしていない自分はダメだ」と責める回数が以前にもまして多くなってきた。

だからこそ8月は頑張った。就労支援も休まず通った。

それはそれでよかった。

しかし人生は長い。そしていろんなことが起きる。

頑張って通えた月もあれば、

その反動か9月は8月と比べて落ち着いている。台風も来て心身ともにやられもした。

するとやはり何もしていない時間ってのが生まれるわけで、そんなときに時間でもあるけん漫画喫茶行くばい~、と漫画喫茶に行く。

そしたらそこで自分を責めるのだ。

俺は何をしているんだ、漫画喫茶なんかに来て漫画読んでいる場合じゃないだろう!プログラミング勉強しろよ!なにやってんだよ!

自責の念は止まらない。

そしてここで「みんな」が出てくる。

「みんな今頑張って働いてるんだぞ!」

みんな頑張って働いているというのに自分は何をやっているんだ、この思考はここまでくると行くところまで行ってしまう。

大体が「自分はもう生きる価値ないな・・・」に行きつく。

 

自分でも馬鹿真面目だなと思うし、もっと気楽に考えたらいいのになと思う。

で、実際その通りなんだ。

ほんとこれ以上の解決策はない。

そんな追い詰めて考えずせっかく漫画喫茶に来たのだから好きな漫画をたらふく読めばいい。

プログラミングはまた就労支援の時にきちんと勉強するから今心配する必要なんかない。

 

それで充分なんだ。

そこに不特定多数の「みんな」を持ち込んで勝手に比較し、勝手に落ち込む必要はどこにもない。どこにもない。どこにもない。

 

「みんな」の声を聴いたり、「みんな」と比較し始めると、冗談抜きで僕は自分の身を滅ばしかねない。

そのくらい「みんな」というのは強敵だ。

姿も形もない。ただの概念なんだ。

概念だからこそ、その概念を支えている自分をとにかく支配しようとする。

たまったもんじゃない。

俺は気楽に漫画が読みたいんだ。

ドラゴンボールを読みたいんだ。

心理バトル系の漫画を読みたいんだ。

 

はい漫画喫茶行ってきます。

今日もよろしく。