「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

「知る→知らない」には戻れない

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

人間知ることは簡単だけれども、知ったものを知らない状態に戻すことは不可能だ。

忘れることはあっても、完全にまっさらの知らない状態には戻れない。

 

情報社会のど真ん中にあって知らなくてもいい情報が氾濫し倒している。

人を不安にさせる言葉があふれかえっている。

だから僕は現代ってのは「知ることに慎重になる必要がある時代」だと思っている。

知ってしまうと、透明な水に絵の具を1滴たらすようなもので、もとの知らない状態にもどることは不可能だ。

知らなくてもいい、自分の気分をかき回す情報なんて初めから取り入れないのが吉だ。

 

だけど人間というのはまた刺激を求める生き物。

不快な情報というのは人間に多大な刺激をもたらす。

皆さんも経験あると思うけれど、うれしい時や悲しい時のあの刺激。

人間は何も起こらない退屈を最も忌み嫌い、自分が不幸になってでもいいから刺激を求めてしまう。

「嫌な感情」になっていれば退屈から気を紛らわせることができる。

 

だからこそ僕は退屈を「嫌な感情」で塗りつぶすのはやめにしたい。

探せばいくらでも退屈をつぶす手段なんてある。

読書、映画、散歩、絵を描く、コントのネタを作る、なんでもある。

退屈なときにすぐにスマホを見て気を紛らわせているのでは、それはもうスマホを使っているんじゃない。スマホに使われているんだ。

 

知らなくてもいいことは知らないが吉。

あの怪盗キッドも「知らないほうがいいこともたくさんあるんだぜ」と言ってたんでまちがいないでしょう。

 

今日もよろしく。

シンプル

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

「ただ生きる」、これ以上にシンプルなことはない。

それなのに高度に発達しすぎた頭がいろいろとあれやこれやと難しくしてしまう。

「こうあらねばならない」、「あいつには負けたくない」、「どうして俺だけがこんな目に・・・」

 

僕も自分の頭にはしょっちゅう苦しめられる。

という自分の25年を振り返ってみるといろんな意味でこの自分の頭との戦いともいえる。

シンプルにただ生きることができないが故の苦しみ。

あるお偉い昔の偉人は「人間の不幸の源泉は、自分一人でじっとしていられないことにある」と言っていたけれどまさにその通りである。

 

人間は基本的には何かをして退屈を紛らわせなければいけない生き物だ。

退屈過ぎると、頭が動いて悩みや不安を作り出し退屈を紛らわせようとしてくる。

でも根本はいたってシンプル。

ただ生きるだけ、なんだ。

思考に支配されそうになったときは「ただ生きる」を思い出そう。

 

今日もよろしく。

悲劇のヒーロー/ヒロインにはなるな

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

自分が今どれだけつらい状況にあるかを人ってのは話したい生き物なのかなとは思う。

だけれどそれを聞かされている側はえてしていい気分はしない。

まずなんて声をかけてあげればいいかわからない。

頑張ってる、頑張ってるとなぐさめればいいのか、もっと他につらい人もいる!と起こればいいのか、そのつらさには意味がある!と激励すればいいか、とにかくなんて言えばいいかがわからないのだ。

 

それに言った側も言った側で相手が聞いてくれることに期待をして、そうでなかったときにすごく嫌な気分になる。

そして何よりひどい場合にはいつでもどんな時でも相手が自分の不幸話を聞いてくれる!と思い込んでしまうときもある。

僕も一時期はそうだったからすごくわかる。

だけれど当然みんな暇じゃないし、不幸話なんて聞いても何も楽しくないので耳を貸してはくれない。

 

僕も毎日いろんなことがあって、過去のトラウマに未だに悩まされたりもしている。

だけれどそれで「自分はなんて不幸なんだ・・」と自己憐憫が始まり、悲劇のヒーローモードに入ってしまうとまじでもっともっとつらくなる。

誰も手を差し伸べてはくれないし、誰もかまってなんてくない。

というか一人暮らしだから誰も周りにいない状況で悲劇のヒーローモードになると自分のメンタルがどんどん削れていくだけである。

 

つらいこともたくさんある。

だけれどそれに感傷的になって自分は何て不幸なんだ、と言い始めたらよりつらくなるし、未来に目を向けられなくなる。

ここが人生の本当につらいところでもあるし、大変なところでもあるけれど、つらいときつらいつらいと言える状況ばかりではないってことなんだ。

 

もちろんカウンセリングや当事者会など話せる場であれば存分に自分のつらさ、不幸を話してもいい。

だけれど日常の生活で悲劇のヒーロー/ヒロインでいることにはなんのメリットもない。

 

今日もよろしく。

ネタで滑ることは、他者目線を知るためのいいチャンス

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

発達障害をもつ多くの人が他者目線を得ることが困難と言われている。

よく自閉症の研究で2人の女の子がいてぬいぐるみを隠して~のテストがあるけれど、他者目線を得ることが困難な発達さんはこのテストがなかなか苦手らしい。

(サリーとアン課題)

theprompt.jp

 

それで僕もご多分にもれず発達さんのど真ん中を走らせてもらっているので

他者が何を感じているか、空気を読むとはどういうことか等を理解するのにとても苦労した。

 

僕が今なんとか定型さんとの場に行ってもそれなりにふるまえるようになったのは趣味でやっているコントが功を為したと考えている。

僕は大学時代一人でそれこそ4年間ずっと一人コントをやっていた。

田舎の大学やけんそんなお笑いサークル的なものもないし、披露する場なんかほとんどない。

だからこそ飲み会、何かの集まりの空き時間、とにかく披露できる場があればいつでもやった。

そのうえでわかったのが、「いつでもどこでも披露していいわけではない。」、「きちんとTPOをわきまえたうえでやったほうがよく受ける」、「自分のネタがどう他者から見られているかをとにかく考えないと滑りまくる」というプロの芸人さんからすれば当たりまえすぎるほど当たり前なことだった。

 

場もわきまえず、周りにお客さんもたくさんいるなかで1人大声出してネタをしたってそれは迷惑にしかならない。そしてそんな状況で笑ってくれる人なんてほとんどいないし、なにより僕がネタをやりづらい。

 

そしてなにより自分のネタが相手にどうみられるかを徹底的に考えざるを得なかった。そのくらい僕は滑り倒していたから。

特に1人2役のコントが多くて、「どっちがどっちかわからない」というお声を1億回くらいきいた。

自分の中では伝わると思っていても、お客さん視点から見れば全然そうじゃないんだ。

それで一度ビデオで撮って見て観たら、確かに何が何やら全然わからなかった。

 

そしてこの時これって他者が自分をどう見ているかを考えることと一緒だよなあ、ってことに気づいた。

嫌でも気づいた。

自分で一生懸命作ったネタが滑る、という経験はすさまじい。一歩間違えればトラウマになることもしょっちゅう。

だからこそそうなりたくないために発達だとか関係なく他者がどう見ているかを考える、のかもしれない。

 

今日もよろしく。

 

自分のためだけに生きる

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

自分のためだけに生きるなんていうと自分勝手で独りよがりで孤独な生き方に思われるかもしれないけれどそんなことはない。

みんな自分のために生きている。

自分がやりたいことをやって生きている。

「誰のために生きている」という人も「自分がそうしたいから」他人のために尽くしているんだ。

 

ただ自分のために生きるというのは簡単なことじゃない。

自分がやりたいことをするためにはそれなりの努力をしなければならない。

自分が幸せを感じたいと思えば、幸せを感じられるよう努めなければならない。

 

自分のためだけに生きるってのは言い換えれば「自分を大切にして生きる」ということ。

これはなかなかに難しい。

自分を大切にするより、自分を貶め傷つけるほうが簡単だからだ。

そして日常のコミュニケーションでも自分を謙虚に見せるほうが相手から嫌われないから余計に自分を大切にしずらくなる。

だけれど、自分で自分を大切にできなかったら、世の中の誰も自分のことなんか大切にしてくれない。

自分で自分を大切にできなけれな、他者からの好意や優しさに気づくこともない。

 

自分を大切に生きていこ。

今日もよろしく。

聞き手の品格

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

僕は基本的この人話を聴いてくれそうだなと感じるとワッと自分のことを話してしまう。

逆に相手が少しでも自分の話に興味のなさそうな素振りを見せると話すことができなくなる。怖くなっちゃってね。

 

別に僕ほど相手の(聞き手の)態度に左右されなくても基本的に話し手は聞き手の態度に左右される。

相手がうなずいたり、質問を投げかけたり、笑顔で聞いていてくれたりするととても話しやすいし、話しているともっと楽しい気分になってくる。

相手が嫌な態度を示したり、話している途中にスマホなんかいじりはじめたらとても嫌な気分になる。

 

僕は、人はもともとはみんな自分のことを話したい生き物なんだと思ってる。

それが家族、学校、社会人になっていくにつれ自分の話が相手に理解してもらえない、受け止めてもらえないという経験を繰り返す。

そうするうちにだんだんと人に話すことが億劫になってきて、自分一人の考えは自分だけのものとするようになる。

別にこのことは悪いことでもなんでもないとは思うけれど、なかには「自分は話下手で・・・」と悩んでいる人がいる。

そういう人は話を聞いてもらうという経験を詰めば少しずつだけれど話せるようになる。

 

そういう意味ではカウンセリングというのはすごく効果的。

自分の話を一方的に聞いてくれ、受容してくれる。

そうすることで自分は受け入れてもらっているという安心感が生まれる。

金銭も発生しているから情報が外に漏れることもなく、守秘義務も守られる。

僕も日々のカウンセリングにすごく助けられている。

 

話し手にとって聞き手の存在はとても大きい。

 

今日もよろしく。

違和感と手を組んでいく

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

発達さんふくめ生きづらさを感じているほぼすべての人が違和感(モヤモヤ)を感じている。

僕の場合、何か正しい!、とされていることに対して「そうでもないんじゃないか?」と疑問を持ってしまい、それが気になって頭の中を占めて違和感を感じ続けているときが多い。

何回かブログでも書いているけれど、ここずっと違和感(モヤモヤ)があるのは「言葉」に関して。

言葉というのは僕はとても自由なものだと思っている。

だから「正しい言葉遣い」とか「正しい文法」とか「正しい意味」とかってのはすごく堅苦しく感じる。

とくに「こうこうこういう使い方が正しい言葉の使い方です」なんて文言を見ると、「別にこうじゃない使い方をしたってちゃんと通じるし、仮にそれで意思疎通ができなくなったらその時に伝えあう努力をすればいい」と感じる。

かなりざっくりとだけれども、こんな感じで世間や一般常識で考えられていることと、自分が考えていることに違いがあるがゆえに僕は違和感を感じてしまう。

 

だからといってやっぱりこの違和感って消せるものでもない。

自分が感じることを消すのは無理だ。

だからこの違和感と手を組んで(?)一緒に歩いていくしかない。

 

やっぱり発達ゆえよくこの違和感は暴走をする。

そんなときはとにもかくにも紙に今の自分の考えを書き出すようにしている。

今回のブログだって、こういう内容で書くってことは今の僕の中で違和感が暴走している証拠だ。

 

違和感とのなが~いお付き合い。

 

今日もよろしく。

帰る日常があるからこそ非日常を楽しめる。

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

今日(11/22)まで徳島に来ていて、全国のいばとく仲間と出会えて、徳島の人たちの温かさにつつまればがら、バカ楽しい1泊2日を過ごしていた。

これからゆっくりと福岡に帰ります。

 

福岡に帰るとまた就労支援に通い詰める日常が待っているわけだが、帰る日常があるってのはいいもんだ。

帰る日常がないと非日常を心から楽しむことはできない。

夏休みも期限があるから価値があるんだ。

ずっと夏休みなんてのは退屈地獄でしかない。

 

メリハリは大事、なんて5億年前から言われていることだけれども、

本当にその通りだなと切に感じる。

 

本当に徳島楽しかった。

また行くばい。

 

今日もよろしく。

死ぬわけじゃない

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

本気で死のうと思っていたし、実際自分の不注意で死にかけたこともある。

そのうえで言えるのが「死ぬわけじゃない」というのはとっても大きな安心材料となりうるんだ。

 

多くの人は「そんなん別に死ぬわけでもないでしょ?焦りすぎだって~」と言われても「そんなアドバイス求めてない!」というだろう。

だけれども死ぬわけじゃないというのは十二分にいいアドバイスだし、安心していい材料になりうるんだ。

 

僕自身自分の思考に殺されそうになったことが何度もあるからこそわかるんだが、思考というのは暴走すると「俺を放っておくとお前の身に不幸が降りかかるぞ!」といって脅してくる。

しかし実際はそんなこと全くなく、何も起きないんだけれども、思考の渦の渦中にいるとなかなかそのことに気づききらない。

僕の場合はそんなときこそ「死ぬわけじゃない」が生きてくる。

単純明快、かつ人生で最も恐ろしい死には至らない。

これだけでまず安心できる。

1つ安心が生まれると思考の暴走もとまり落ち着いた考えがうまれてくる。

人生どんな考えでも幸せにはなれるんだなとか、自分の幸せだけを求めていいんだな、とかいう風に。

 

大丈夫。死ぬわけじゃない。

今日もよろしく。

「めんどくさい」を利用しよう

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

めんどくさいという感情はとにかく今の生産性第一社会では忌み嫌われる。

だけど僕はめんどくさいにも利用価値は十二分にあると考える。

 

それは「行動を止めること」。

大学3、4年の希死念慮がキョダイマックスの時、死ぬことばかり考えていた。

しかし「死ぬ」っていうのは当然のことながら簡単なことじゃない。

死ぬまでの準備をするのも大変だし、死んだ後も人様に多大なる迷惑をかける。

そして何より死に対する恐怖に打ち勝たなければならない。

そういったもろもろのことを考えていると、だんだん死のうとすることがめんどくさくなってきていつの間にか眠っている。

こんな感じで希死念慮ダイマックス時はめんどくさいに助けられた。

 

今でもあいのかわらずの考えすぎマンなのでああでもない、こうでもないと考えているけれど、そのほぼすべてが途中で「めんどくさくなって、どうでもよくなる」に落ち着く。

めんどくさいという感情が停止機能を動かしてくれるから今も僕は考えすぎから身を守ることができている。

めんどくさいが思考の停止機能を作動させてくれているからこそ、人生とはわからないことだらけでも幸せになれるし、笑顔にもなれるし、生きがいを感じることができる、ってことを教えてくれた。

 

めんどくさいとのいい付き合い方大切です。

 

今日もよろしく。

お土産の力

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

お土産、特に食べ物系のお土産の力はすごい。

みんなが笑顔になる。

バイト、仕事、何かの集まり、会議、その場所にお土産としてお菓子が机の上に置かれていたらそれだけでうれしくなる。

それだけでなく遠くに出かけて住んでるところのお土産を渡すととても喜ばれる。

 

お土産に関しては往々にして「気持ちが大切」と言われているけれど、実際はもらった側はとてもうれしい。(中には相手のこと度外視でとにかくあげる一心でわけのわからないものを渡してくる人もいるけれどそういうのはもちろん省く)

だからお土産を渡すってのは基本的にやっておいたほうが得。

旅先でのお土産にしても安いものなら500円ちょっとで帰るものなんてたくさんある。

1000円以下で人の笑顔をたくさん見れるなら安いものだ。

 

ちなみにだけれど、僕が思う日本のお土産ランキング堂々の1位は「博多とおりもん」ばい。

今日もよろしく。