「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。このブログは普段僕が感じているまたは感じた、ちょっと哲学的なことを徒然なるままに綴ったブログです。お時間のある方は是非読んでくださいな。

tigubagu流 人の目を気にしなくなる方法

こんにちは。

4月も中ごろになりどんどん暖かくなってきましたね。

とはいえ夜はしっかりと寒い。。。

昼夜での温度の差が激しいとすぐに風邪をひいてしまうのでつらい限りです💦(あと花粉ね!)

 

さて今日のブログの内容は僕tigubaguが勝手にこれいけるんじゃね?って思った「人の目を気にしなくなる方法」。

 

なにを隠そうこの僕ね、とんにかく人の目を気にするんですよ。

こんな記事書きながらもとにかく気にするんですよ。

 

街を歩いてたら、

あの人、今俺のことにらんでたよな

 

電車に乗っていたら

あ~、あの人ずっと俺のことにらみつけてる・・

みんな俺の服装を見て笑ってるんだ。。

 

お店に入ろうものなら、

きっとここの店員さん俺のこと笑ってるんだろうなあ

 

 

いやいやいや、

 

みんなそんな暇じゃねえよ!!!!

 

そう!暇じゃないんですね。

 

僕の場合はそうなんですが、いっつも思い出すのは自分がどう見られたのだろうという不安ばかり。

逆に自分が他人をどのように見てたか、なんてまるっきり覚えてないんですね。

 

ということはですよ。

 

日々日々こんな自分がどう見られているかを気にしている僕ですら他人のことをほとんど覚えていない。

それならより忙しいビジネスマンやら、お店の人やらが、僕のことをまず意識しているわけないし、仮にその場で僕のことを意識したとしても、一瞬で忘れています。

 

僕の存在、いや「自分にとって自分と関係のない他人なんて所詮そんなもの」なんです。

 

この考えに行き着いてからわりかし人の目は気にならなくなりました。

 

もちろんもとが気にしいなんで、今もごりごりに気にしだすときもありますが、

そんなときにふとこの「他人にとっての自分理論」を持ち出すとふっと、心が軽くなり、ああ人って俺のことなんて見てないよな、もっと自由に行こうと思えるのです。

 

皆様もこの考えぜひ一度試してみてください^^

 

ps.(ここから文体を変えて)

 

そもそも。そもそも論。

 

自分というこの存在がよ。

他人の心の中なんてわかるわけがなくないか?

だってさ、俺は俺で、あの人ではないんだからさ。

 

俺があの人の体の中に入ってその人が見てる世界を見ても

それは「俺がその人の体の中からみた世界」で、「その人が見ていた世界」ではない。

 

そもそも「他人の心」なんていうのは想像してもほんとうにわからない。

「eycnsicma」が俺にとって意味の分からない言葉のように、「他人の心」ってのも俺からしたら意味が分からない。

というかわかれない。

 

そもそも「心」なるものが難題な気がする。

 

いずれこのこともまた書きたいですね。