こんにちは。
tigubaguです。
どんどん暖かくなってきますね!
花粉か、昼夜の寒暖差か、はたまた九州ならではの黄砂か、理由はわかりませんが鼻水の量がどえらいことになっててポケットティッシュ常時20パックくらいは持参しているこの頃です。
さて、今日のテーマは僕tigubaguが考える学問としての「哲学」と「自分の考え」の違い。
皆さんは哲学と聞くと何を思いますか?
難しい考え?
人生についての深い考え?
はたまた真理を探究する考え?
常識を疑う考え?
どれも当たらずしも遠からずのような、、
ただこの4つの共通点。
そう哲学とはずばり
「考え」が基盤にあるんです。
じゃあ自分一人でうんうん考えてるのも哲学なの?
ここに学問としての「哲学」と、「自分の考え」の大きな違いがあります。
それは学問としての「哲学」は、
学問としての名打っているだけあって、
他者にわかる、言葉というツールにより、論理的に体系化されている必要がある
ということです。
簡単な言葉で言うと、
自分一人だけわかっててもそれは学問としての哲学ではない。
きちんと自分ではない他者に説明されてこそ学問としての称号をもらえるのです。
とはいえ、とはいえです。
僕はやっぱり学問としての「哲学」はそれでいいとしても、
やっぱり本来の<哲学>ってのは、
自分がきになる問いを自分でうんうん考える、ってことだと思ってます。
別にそれが他人に伝わるかどうかは二の次三の次。
まずは自分自身であーでもない、こーでもないと思考することが本来の哲学だと思ってます。
僕なんかは特性の影響も大きくしょっちゅう、
言葉に意味はあるのかな?
↓
あるとしたらどんなふうに?
↓
人の心にあるのかな?
↓
なら人の心はどこにあるの?→そもそもこの世界は心と物質の二元的な世界なの?
↓
物質だけの世界だとしたらこの心はどうやって説明されるの?
↓
脳みそが心なら、脳みその仕組みがわかれば心がわかるってこと?
↓
なんかしっくりこねぇよ!
みたいなことを頭で一人会議しながらしてます笑笑
自分がもった問いですからね。
まずは自分がその問いとどう向き合うかが大切なのかなと思ってます。
はい!以上です!(^^)
では!