「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

実のところ「無駄な努力」ってあるの?ないの?

こんにちは。

tigubagu(@tigubagu0123)です。

近くのスーパーで売っている鳥の砂肝がおいしすぎてほぼ毎日食べているtigubaguです。

ただ定価で買うと高いので夜の割引されている時間に訪れて3,4割引きされている時間にまとめて買うってのが主ですね。

 

さてさて今回のテーマは

実のところ「無駄な努力」ってあるの?ないの?

 

僕はよくどのように努力すればいいのかもわからずにとにかく始めてみようぜ!っていって周りの人から「tigubagu君努力の矛先間違っているよ」と言われてきました。

 

自分としては「わからなくてもとりあえずやってみるってこと」に価値を置いていたのでこう言われるということは、一般的にはきちんと努力の矛先をきめて努力することが大切とされてるんでしょうか。

 

しかし、自分でいまやっている努力が本当に正しい努力かどうかなんてどうやってわかるのでしょうか。

僕の場合ですが、今の努力が正しかったかどうかはあとになって振り返ってみて、「あのときの努力は正しかったんだな」とわかるのがほとんどです。

ということは逆に「やっぱりあの時の努力は間違ってたな」とわかるときももちろんあります。

 

それでも今実際に努力しているときに「無駄かどうか」を考えるのは僕としては、

ナンセンス

な気がします。

 

つまり「無駄な努力」は存在するには存在する。

しかしそれは後になって振り返ってみてわかることだと思う。

 

そもそも努力が正しいかどうかで悩むくらいなら今やっていることは本当にやりたいことなのかな、と僕は問いたくなります。

 

本当にやりたいことは正しいか努力かどうかなんて考えずに頑張っているものだと思います。

いや、頑張っている、という表現も変かもしれません。

夢中になっていますから。

まさに「努力は夢中には勝てない」ですね。

 

僕も今思えば腐るほど「無駄な努力」をしてきました。

なんでああしたんだろう。もっといい方法があるだろう。

 

とはいえ、これも別の視点から見てみれば

「無駄な努力」ではなく、「必要な努力」、「正しい努力」といえることも多々ありました。

 

結論としては、

無駄な努力はあるか、ないかでいうと「ある」。

しかし本当にやりたいことは今していることが無駄な努力かどうか気にもとめないと思う。

 

夢中になっているか、努力しているか、と思う判別が本当にやりたいことかどうかの判別になるのではないでしょうか。

 

 

今回は以上です。

では次回のブログでお会いしましょう!

 

 

ps.

「本当の」

 

この言葉って結構やっかいなんですよね。

 

「本当の」友達

「本当の」思い

「本当の」やりたいこと

「本当の」自分

「本当の」人生

・・・・・などなど

 

「本当の」とつけることにより、「本当」ではない何かがあると考えてしまう。

 

しかし何を基準にして「本当」というのでしょうか。何をもって「本当ではない」というのでしょうか。

 

考える価値はあると思います。