「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

なぜ僕は人見知りなのか

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 僕は極度の人見知り

もはやこのブログの鉄板ネタともなってきた、「人見知り」関連。

再三再四書くが、僕は極度の人見知り、だと思っている。

ところがやっかい(?)なことに僕は人前で話すのが好きであったり、打ち解けると急に氷山が瓦解したかのように話し出すことからなかなか僕が人見知りであることは伝わりづらい。いや、本当に伝わりづらい。いや、もはや伝わっていない。

 

今まで生きてきて僕のことを人見知りだねと1発目でうなずいてくれたのはたった一人である。(これはまじ)大学の時の研究室の先生が一発で僕のことを人見知りだと見抜き、ものすごくうれしかった。お~、理解してくれた!の安心感でいっぱいだった。

 

さてはて、実際僕がどんな感じで人見知りなのかというと・・・

  • 初対面の人に自分から話しかけ切らない
  • 何を話していいか全くわからない
  • 会話が秒速で終わる(無理をして話そうとすると自分だけが話している状態になる)
  • 人の輪に入れない(輪に入れた時は大体、一対多みたいな講演会のような感じになる)
  • 他人に興味が持てない
  • そもそも集団が好きじゃない
  • 話しかけられるのをずっと待っている

などなどそれこそ上げだしたらキリがないのだが、ざっとこんな感じである。

 

もはや「他人に興味がない」ってには人と関係を結んでいくうえではかなり致命的である。とはいえこれもASDのこだわりの傾向ゆえなんで、自分で治そうと思って治せるものでもないのだけれど。

 

ここから僕tigubaguが実際なんで人見知りになったのかを、自分の特性や過去に起きたことやいろいろ踏まえて考えてみたのでそれを書いていく。

人見知りで悩んでいる人の力に少しでも役立てたらなと思います。

 

人見知りになった理由① 発達障害(特性)の影響

やっぱり大きな理由はこれかなと思う。

僕は発達障害のなかでもASDADHDの傾向がかなり強い。

そのなかでも上記にも書いたASDってのは「興味関心の幅が著しく限定」される特性があるのだ。自分の興味のあることや、関心のあることならいくらでも取り組めるし、話を聞いていても面白いのだが、逆に興味のない話はただただ苦痛でしかない。

で、この苦痛の程度ってのが提携の人の言うそれとは大きく程度が違うのだ。僕は体感提携の人より5倍苦痛を感じていると思っている。(それはほかのASDが強い人を見てもそう感じる)

 

そうなると、飲み会やみんなでワイワイする場がまず全く楽しめなくなる。そう、全くだ。

もちろん楽しい飲み会もあるが、それは話題が興味あることの話ばかりだったり、そもそもその集まりが同じ趣味同士で集まった者たちの集まりだったりしたら、それはもちろん楽しい。

仕事での飲み会や、たいして仲良くない人たちとの集まりなどはとにかく地獄極まりない。輪に入れないどころか飲み会中絶賛大宇宙ひとりぼっち状態が続くのだ。

 

また、そもそもASDの人は「人の輪に入るのが困難」発達障害である。

僕も仲良し集団で遊びに行ってもほとんど話には加わらず聞きやくになっていることがほとんどだ。まあ、それでも安心できない人と行くよりかは全くマシなのだけど。

 

とにかく僕の人見知りに発達障害が大きな影響を及ぼしていることは間違いない。

人見知りになった理由② 過去のいじめられた経験

正直言って、僕は「人が怖い」

特に初対面の人なんかは老若男女問わずびくびくしてしまう。(最近、居場所づくりの活動の影響かご年配の方と多く接する機会があり、少しずつ老若男女の老に対しては抵抗感が薄れつつある。)

それゆえに初対面の人なんかには特に自分から話しかけきらない。何を話していいかわからないし、すぐにテンパって何を話していいかわからなくなる。

 

この原因はやはり学校に通っていたころに受けたいじめが原因だろう。

実際どんなことをされたかは過去の記事に書いたのでそちらのリンクを張り付けておくのでぜひ読んでください。

 

www.dotama-kotoba.com

www.dotama-kotoba.com

 

いじめもざっくり締めくくって書くとするならば、僕の目立ちたがり屋気質普通の人とは違う感性、人とは違うことを疑問に持つ、などとにかく「人とは大きく違う」というところに原因をなし、そこに中学生という自分とは違うものを見つけるととにかくそれを排除しようとする年頃にいじめを受けた、と考える。

 

とはいえ、そのいじめの影響はなかなかぬぐえず、今も人と話すときはなかなか目を見きらなかったり、だいぶましになったが挙動不審になるときもある。

 

が、これに関しても仕方ない。起きたことは起きたし、それで人が怖い、ってのも事実だ。

僕は時間と安心できる居場所の存在が必ず癒してくれると信じている。時間墓kるかもしれないが、人と関わることにそう緊張しなくてもいいときが必ず来ると信じている。

今、僕が属している「居場所~特性を生かす道~」の仲間たちとなら必ず癒せると信じている。

そのためにも少しずつではあるが知らない人と関わっていくことを続けている。緊張もするし、疲れるけど少しずつ慣れてきた。

 

 

ざっとこの2つが大きな原因だと思っている。

要約するなら人見知りってのは、「幼少期や思春期に人間関係でつまずいた人がなるもの」だと思っている。

僕の場合は、発達障害の影響ゆえに人間関係なんて失敗続きなので人見知りになるのは半ば当然なわけで、だからこそ治すというよりも、もはや人見知りのままどうやって人と関係を結んでいくか、ってことにフォーカスをあてている。

人見知りの皆さん、僕も人見知りのまま楽しく生きる道を模索します。皆様も自分の生きやすい道を探してください。

 

今日も皆様の一日が良き日でありますように^^

ではまた!

 

記事内画像元:bBearさんによる写真ACからの写真