おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
(https://twitter.com/tigubagu0123)
僕たちは生産性がないと生きてはだめなのか
今の時代「生産性」という言葉を聞かない日はありません。
何をするにしても、生産性をあげろ、生産性を追い求めろ、生産性、セイサンンセイ、せいさんせい・・・・・・
YouTubeで何か勉強のための動画を検索すれば、すぐに生産性関連の動画が腐るほど出てきます。
「○○すれば生産性は爆上がり!」、「○○しておけば生産性UPは間違いなし!!」みたいなですね。
生産性という言葉を使い、実際には何を生産しているんでしょうか。
お金、商品、アプリ、、いろいろあるかと思います。
これらを生産するために対価となっているのが「時間」ですね。
つまり生産性とは、「同じ時間内で、どれだけ多くのものやお金を生産できるか」ということですね。
(んなことわかってるわ!と思われる方も、僕はこうやってかみ砕かないとわからないのです。お付き合いお願いします。)
世の中で意味がある行為とされているのは、概して「生産性がある行為」と言い換えることができます。逆に言うと生産性のない行為は無意味として片付けられます。ああ、さみしい。
僕たちは人間だ
でも、僕たちはロボットじゃありません。
生身の人間なんです。
生産性を追求することが人生の目的なら、僕はすごく寂しいと思います。
人間なんだから、生産性が高い人もいれば、低い人もいる。
僕は、このことって、足の速い人もいれば、遅い人もいるってのと同じ次元の話なんじゃないかなと思っています。
そんなに生産性が大切なのか
しかし今や多くの人が生産性を追い求め、やっきになり、なんなら生産性がない(日々何も生産をしていない)という理由だけで自殺を考えている人もいるほどです。
そんなに生産性が大切なのでしょうか。
僕はそうは思いません。もっと言うならそう思いたくはありません。
生産性がないことを嘆き、死をも考えるくらいなら、生産性なんかなくてもいいから自分の人生を楽しむことに重きを置いた方がずっと人生は楽しいと思います。
とはいえ、何かを楽しむためにも、今の世の中は生産性を必要とします。
言うなれば、社会側が「楽しいこと=生産性の先にある」という風に定義づけをしているみたいな感じです。
旅行に行くのも、ゲームをすることが楽しいのも、友達と飲みに行くのも、どれも日々お金や物を仕事やなんやで生産しているから、その報酬としてた楽しめるんです。
生産をせず、日々消費なかりしていると今の社会ではだれに責められなくとも罪悪感を感じるようにできているんです。
もはや生産性の魔の手から逃れることはできないのか、と日々感じています。
「何を生産するのか」、生産性の視点を変える
僕はひきこもり経験者です。今も就労支援に通ったり、居場所づくりの活動はしていますが、定職にはついていません。
ゆえに何も生産せず日々消費するだけの毎日をすごす苦痛は身に染みてわかります。
そこから僕は一つの対処法を思いつきました。
それは、
「何を生産するかは自分で決めていい」
ということです。
僕はもう半ばあきらめきっているのですが、社会が用意する生産リストの中のものを生産する能力は今の僕にはほぼないです。
もちろん努力すれば身につく可能性もあるとは思いますが、「努力する」ということに関しては書き始めると、努力できるできないの発達特有の話になるので今回は割愛します。
僕は社会で求められているものを生産できない。
しかし、何かを楽しむためには自分が何か達成した、何かを生産したという事実が重要になってくる。
そのためには自分が何を生産できるかを考え、それを愚直に生産し続けることが大切なんじゃないかなと僕は思っています。
例をあげるならこのブログですよね。
僕はもともと自分のうちに抱える生きづらさや、葛藤をたくさんの人に知ってほしいという思いがあったので、ブログを生産するという行為はとても自分に合っています。
(ちなみにこの記事で100日毎日更新達成!)
他には、ほぼ毎日行っているツイキャスなんかもそうですね。
僕は人前で話すのが好きなのでそれをオンラインに適用した感じです。
それと就労支援で勉強しているプログラミングですが、これもきちんと身につけば結構な生産性になると思います。しかし特性の影響もあり、ほんとゆっくりしか前に進めないのでまだかなり先にはなると思います。
自分で決めたことを自分で生み出していく、すると完全にではないですが、自分も生産をすることができると自信を持てます。
1歩1歩これからも僕なりに生産していきたいと思います。
今日も皆様の1日が良き日でありますように!
ではまた!
ps.
平日の昼間に何もせず、部屋で寝ているときに襲ってくるあの虚無感。
あれこそ僕は生産性を追い求め続けている社会に身を思いてるからこそ来る虚無感だと思っています。
虚無感であり、焦燥感もあり、無気力感もあり、、、、
とにかく自分という存在がなんてダメなやつなんだと感じられるあの瞬間。
僕の生きづらさの大きな原因は、「社会が生産性を求めること」にあります。
今もずっと思っているのですが、いつか何も考えず自給自足の生活で、大切な人と穏やかに暮らしていける暮らしがしたいなと。
落ち着いてゆっくり急がず慌てず、紅茶でも飲みながら本を読む毎日。
そんな生活を送れたらなと思わない日はありません。