おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
(https://twitter.com/tigubagu0123)
期待をしない
自分が他者に何かをしてあげると、多くの場合見返りを期待してしまいます。
そうでもなくても人は人から何かしてもらえることをどこかで期待しているものなんです。
僕は「期待をする」、「期待してしまう」ことによりつらい経験を幾度となくしてきました。
これだけやったのだからこのくらいは返してくれるだろう。
え?これだけしかほめてくれないの?あれだけやったのに?
俺は頑張ったから認められるはずだ
などなど、見返りを求める、認められたい、などを期待するとその欲望はとどまるところを知りません。
仏教の言葉「無功徳(むくどく)」
仏教の禅の言葉に「無功徳」という言葉があります。
単純な言葉の意味では「功徳が無い」、つまり「見返りは無い」ということです。
仏教の世界ではこの言葉により大切な意味や、意義があるとは思うのですが、
僕はこの無功徳を「見返りなんか期待せず、ただつくせ」という風にとらえています。
なにか自分がよい行いをした。
そしてそれに対する功徳、報い、見返りを期待してしまう。
この瞬間に欲が生まれ、せっかくいいことをして気持ちがよくなった心が一瞬でモヤモヤして陰りが生じます。
そんな期待なんか捨ててしまい、ただ他者のため、誰かのために良い行いをする。
良い行動をする。
それだけで十分なんです。
他者のために命を使うことで悩みは消え去る
僕の話です。
僕は生きていて、これをしているときは充実してたなあ、自分の悩みなんてどうでもよかったなと感じるときは、
他者のために頑張った時
です。
他者がつらそうにしているときは手を差し伸べる。
他者が困っていたら駆けつけて手を貸してあげる。
そういう意味で大学生の時、あんまりにも暇なとき、近くに海があったので海に行き海岸のごみ掃除をしていたんです。
で、1週間に1回のペースでやっていたら、それを見た友達が俺も手伝うよと言ってくれて。
なんのことはない一個人のごみ拾いだったのですが、他者のためにいいことをしているとそれがまた別の人に伝染して行動を促す力があるんだなと感じました。
そして暇でしかったなかった日がゴミ拾いをしているというただそのことだけで生きるのって楽しいなと思えるようになったんですよね。
人は自分一人のために生きられるほど強くはないのかもしれませんね。
誰かのために生きてこそ、生を実感できるのかもしれません。
見返りを求めず、他者のために何ができるか、考えて生きていこうと思っています。
心掛けるは「無功徳」です。
今日のブログは以上です。
今日も皆様の一日が良き日となりますように^^
ではまた!^^