おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
(https://twitter.com/tigubagu0123)
「あきらめる」とは「明らかに見る」こと
生きているとあきらめざるを得ないことってたくさんありますよね。
自分の能力の限界だったり、誰かのためにがんばってもふりむいてもらえないときだったり、あきらめざるを得ない状況というのは当然ですが生きていれば腐るほどあります。
そんなとき熱血スポーツ系の人は、
「どうしてあきらめるんだそこで!あきらめなければ夢がかなう!」
と言うでしょう。
実際あきらめなければ夢がかなうものも中にはあるんでしょうけれど、
あきらめずに一つのことを続けるということは言うなればほかのことは全部あきらめたうえでのことですからね。
そして僕はあきらめるというのは決して悪いことだとは思いません。
あきらめるとは、「自分に何ができ、何ができないかを知るための自己分析の方法」だと思っています。
あきらめるの語源は「明らかに見る」から来ていて、自分の能力がどれくらいなのか、壮大すぎる夢を語っていないか、など自分を分析する言葉だったのです。
自分が幸せになれるかを基準にする
そのうえで、僕はあきらめるかどうかの基準として提案したいのが、
「この行為(ほかにも思考、頑張り、努力などなんでもいいです)を続けていて自分は幸せになれるのかどうか」を基準として判断すること、です。
例えばなかなか目が出ずに、正直もうやりたくはないけれど、いつか芽が出るかもしれないからといやいや続けている努力があったとします。
確かにもしかしたら続けることによって芽はでるかもしれません。
しかしそのためには貴重な時間を長い間嫌なことにつぎ込まなければならないのです。
そこで、この努力をして自分は幸せになれるのか、と自分に問うのです。
その際大切なのが自分の直感を信じることですね。
僕もよくやってしまうのですが、自分に問うたはいいものの、
「本当にそうなのか?」「今はそう感じているだけなんじゃない?」などとついつい考えてしまうんですよね。
だからこういう思考をしないためにも直感的に「幸せにしない!」ときたらそれを信じることです。
人というのは、信じる際にも何か確証のような根拠を欲しがる生き物ですが、確証なんてのはありません。
直感を頼りに生きる。そこをよりどころとするのです。
自分の直感、感覚を頼らずして誰のための人生だ、ということです。
あきらめることは悪いことではありません。
あきらめて、明らかに見て、自分を幸せにすることだけを続けていけばそれでいいのです。
今日のブログは以上です。
今日も皆様の一日が良き日となりますように^^
ではまた!^^