おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
(https://twitter.com/tigubagu0123)
状況に対する認識を変える
何か良くないことが怒った時普通は「うわ~最悪だ!」とか「なんでこんなことしてしまったのだろうか・・・」と思ってしまうと思います。
しかしですね、そうやって「最悪だ!」とか「どうして!」として、現象や行動に対して意味を施しているのは自分なんですね。
以下僕の心の支えにしている一冊オードリー若林さんの『社会人大学人見知り学部卒業見込み』から引用します。
当時僕は(同じ芸人仲間)に尋ねた。
「自分が貧乏だと思うと彼女に申し訳ない気持ちになることない?」
驚きの答えが返ってきた。
「うーん・・・・、逆にこんなに金のない俺と付き合ってるんだからよっぽど俺がカッコいいんだと思っちゃってるんだよね。」
その男は、顔も整っているわけでもなく、背が低い男であった。その男は未だにいろんなものが整ってなくて、低い。が、当時の彼女と結婚して幸せそうだ。
僕は羨ましかった。お金より地位より名声より、生まれながらの自信というものがぼくは何よりほしかった。
根拠のない自信。最強だ。
状況がダメなのではなくて、状況をダメと捉えてしまうことがダメなのだ。
はじめてこの文章と出会った時の衝撃は半端なかったです。
当時大学3年で希死念慮真っ盛りのころだったのですが、この文章(この本)に出会い、
自分は今現在の状況を最悪最悪と言っているが、実際一歩落ち着いてみたら普通に生活もできるし、おいしいご飯もいる。あいにく恋人はいないが、大親友はいる。好きなところにも行けるし、バイトも楽しかった。
いいところだけに目を向ければ十分楽しい生活でした。
そして当時自分が最悪、死にたいと思っていた理由も、
- 研究室の人間関係でうまくいかなかった。
- 孤独で一人の時間が多くなんでこんなに孤独なんだと嘆いていた。
こんなところなんですね。
これも今から思えば本当に些細なことで悩んでいたんだなとある程度は思えるようになりました。
研究室の人間関係なんてほんとに小さなこと。
ゼミのあるときだけを乗り切れえばいいだけだし、別にそこが僕のすべてではない。なぜゼミのない日もその人間関係のことで悩んでいたのか・・・
そして一人の時間が多く孤独で悩んでいたことに関しては、これはまあ初めての一人暮らしということもありある程度は仕方のないことなのかなとも思いました。
実際この時にしっかりと孤独と向き合い孤独に対する基盤のようなものがこのときに作られたのは本当によかったなと思っています。
しかし一人の時間が多いなら「孤独だ孤独だ」と嘆いているだけでは何も変わりません。
つながりを作りたいなら何かの活動に顔を出すとか、一人の時間を生かして簡単な資格を取る勉強をするとかできることはいろいろありました。
これもようは状況に対する僕の受け取り方が影響していましたね。
魔法の言葉「たいしたことない」、「だから、何?」
僕は根っからの不安しいなのでしょっちゅうことあるたびに、
「どうしようどうしようどうしよう!」、「○○になったら俺は恥をかいてしまう!」、「なんてことをしたんだ!」と慌てふためいています。
しかしこれも今まで書いてきた通り、僕が状況を一言でいうと「ヤバい状況」と捉えた故の結果であって、状況をどうとらえるかは僕の選択次第なんですね。
ですので、こういったことが起きたときは(四六時中起きてるんですけどね笑)、心の中で、
「大丈夫大丈夫。死ぬわけでもない。たいしたことない。」
「確かにそれが起きるといやだけど、それで何?俺が死ぬの?」
と言い聞かせたり、問いかけたりしています。
これをすることにより僕がいたずらに状況を大変なものとみなしていたことがわかり、次第に頭が落ち着いてきます。
頭が落ち着き冷静になったら、そのあとゆっくり考えたければ考えればいいし、考えたくなければ考えなければいいのです。
死ぬこと以外、基本的には何とかなるし僕は大丈夫だと思っています。
状況の捉え方から変えていきましょう!
今日のブログは以上です。
今日も皆様の一日が良き日となりますように^^
ではまた!^^