おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
(https://twitter.com/tigubagu0123)
自分を愛するためにも居場所は必要
僕は現在生きづらさを抱えた人に向けての居場所づくりをしています。
大分県の「居場所~特性を生かす道~」(以下 イバトク)というグループの広報担当として活動しています。
このイバトクの特徴的なところとしてはグループのメンバー全員も何かしらの当事者であったり、経験者であったりするところなんですよね。
僕自身は発達障害当事者であったり、ひきこもり経験者であるんですが、仲間それぞれ特性であったりバックボーンが全然違うというのはうちのイバトクの大きな魅力だと思っています。
僕はこのイバトクに所属し活動始めること現在2年目なんですが、このイバトクに出会えて改めて自分にとっての居場所の存在の大切さがわかりましたね。
ここでいう居場所とは、
- ありのままの自分を認めてくれる場所
- 何があってもみんなが守ってくれる場所
- いつでも帰ってこれる場所
- いつでも休める場所
などの意味を含んでいます。
本来このような居場所は生まれたときの家族が担うはずなんですが僕はそうはなれませんでした。
現代では家族が居場所にはならないという人たちもどんどん増加傾向にあります。ということはそれだけ居場所がないまま生活している人たちが多いということですよね。
居場所があることで一番大きな変化があったのは、僕は自分で自分を愛せるようになれてきた、自分に自信をもてるようになった、ことですね。
学校、会社、どこでもそうですが基本的に何かしらの共同体に属すると人はその共同体の理念に自分を合わせるように努めます。
もちろんこの合わせることをまったくしない共同体っていうのはありえません。
そんなことすれば共同体として機能しなくなるどころか、個々人が好き勝手やってるだけですからね。
とはいえ、逆にその合わせることがきつすぎるのもまた問題です。
特に日本の学校、会社は個人に異常なまでに強制的に従わせようとします。
そして友人間や知り合いの間でも「空気を読む」という言葉にあるように、空気に反することをした人は仲間から外されます。
このせいでほぼすべての人がどこか息苦しさを抱えながら毎日を生きています。
先ほども書きましたがそういう状態にあっても家に帰れば家族がいてありのままの自分でいられる、楽な自分でいられる、というのが理想ではあるんですが実際はそうはなっていません。
ここに居場所の重要性があるのです。
いつでも楽なありのままの自分を受け入れてくれる場所、
その人当人が居心地がいいなと思える場所、
そんな場所が一つあるだけで、自分は一人じゃないと思え、どれだけ冷たくされようが自分には仲間がいるからと思えるのです。
これだけ書くとすごくいいところばかり書いている風に見えるかもしれませんが、実際に僕自身がイバトクと知り合い活動し、人に合わせず直感だけで意見を言ってもだれも否定しない。むしろこんな僕をいいと言ってくれる。そんな実際の体験談なのです。
それゆえにもっと「居場所」となりうる組織、グループがもっと全国的に広がれば今日本に蔓延している生きづらさの根本部分を解決できるんじゃないかなと楽観度合いもありつつ考えています。
僕も広報担当として居場所の存在の大切さをこれからも広めていきます^^
なにとぞよろしくお願いします。
今日のブログは以上です。
今日も皆様の一日が良き日となりますように^^
ではまた!^^