おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
(https://twitter.com/tigubagu0123)
「弱い」のが自分たい
僕は「弱い」です。
本当に弱いです。
一言悪口を言われただけでとても傷つきます。
無視をされたら僕の存在なんていらないのかなと思います。
打たれ弱く、ストレスにも弱いです。
ビビりだし、要領も悪いし、体力だってことごとくありません。
このように書くといいところが一つもないようですが実際に弱いので仕方がないです。
よく世間では弱さこそ強さ!というときがあります。
僕もあながち間違っているとは思いません。
自分の弱さを知っているのは人生をタフに生きていくことにおいては「強さ」といっていいのかもしれません。
とはいえ、やはり僕は「弱さは弱さ」と思います。
もっというと強さも弱さもその概念自体が比較から生まれているということなんですよね。
誰かや何かと比べて強い、誰かや何かと比べて弱い。
しかし本来自分は自分です。ただ自分のありのままの状態がそこにあるだけです。
それをほかのものと比べて強いだの、弱いだのと言うのは自分の状態に取って本当にどうでもいいことなのです。
人間は社会的な生き物なのでどれだけ無意味とわかっていても「比べる」という行為をやめることは難しいです。(やめようと本気で決意すればできなくもないですが)
ですので、僕は考え方を変えて自分が弱いということを認めようと。
そのうえで弱いこそのいいところを探そうと努めるようにしました。(現在進行形でそうしています。)
弱さは強さ、とは言いませんが、弱さの中にもいいところはあるとは思っています。
①同じく弱さを抱えた人に共感できる
弱さを抱えている人は当然ですが僕一人なわけではありません。
この広い世界ごまんといます。
それに弱さの種類もそれこそ無数で、考えようによってはどんな人も何か一つは弱い部分を持っています。
「弱さ」を自覚し、そういう弱さを抱え続けることで、こういった他者のもつ弱さに共感を示すことができます。
具体的なこととしては、「弱さに関する話をしっかりと受け止めきくことができる」ことです。
相談事や、弱さをせっかく相手が打ち明けてくれても「大丈夫!大丈夫!何とかなるばい!」ですませられても打ち明けた側はどこかさみしい気持ちになりますよね。
(この大丈夫大丈夫も僕は結構好きなやりかたではあるんですけどね笑 無条件に明るくなれるというか)
しっかりと相手の話をきき、受け止める。
こういった意味での強さは、「弱さ」を抱えた人こそがもてることだと思います。
そしてこうやって相手のことを受け止めると、いつしか自分も受け止めてもらえるようになっていくものです。
②謙虚になれる
僕は弱さこそ謙虚、だと思っています。
逆に言うと強さにはどこか傲慢性が感じられます。
自分の中の弱さに自覚してこそ、自分のできる範囲のことをしっかりと知ることができます。
人からの過度の褒めにも、行き過ぎた卑下に対しても謙虚に自分は自分と律することができます。
僕は弱さをしることは、自分を知ることに本当に近しいと考えています。
ついつい自分はできると思い込み、できる自分を思い描き、自分の弱い部分にスポットをあてなければいつまでたっても自分に対しての理解を得ることはできません。
もちろん初めは自分の弱さにスポットをあてるのはつらいことでもあります。
しかし自分を知り、自分がどういう風に人生を歩めばいいかを知るためには自分の弱さを知ることは必要不可欠なのです。
③あきらめがつく
弱さを知り、自分のできること、できないことの区別がつくと、
物事に執着せずきれいに「あきらめる」ことができます。
あきらめるというのは何度もここのブログでも書いてある通り決して悪い意味合いではなく、「明らかに見る」の語源にある通り、執着せず楽に生きるための秘訣なんですね。
僕もあきらめず頑張るなんてのはもう無理です。
頑張らない範囲で続けられることを細々と続けて習慣にしていく。
この生き方が僕には合っているなと最近改めて感じています。
「俺には無理!」とあきらめるのが早ければ早いほどその分無駄な時間を出さずに済みますしね。
自分のできること、できそうなことを淡々と続けていく。これが僕は大切だと思っています。
今日のブログは以上です。
皆様も自分の弱さと1度しっかりと向き合ってみて、その弱さのいいところを探してみてはいかがでしょうか^^
きっとすばらしい効果があると思います!
今日も皆様の一日が良き日となりますように^^
ではまた!^^