おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
(https://twitter.com/tigubagu0123)
「上手になるためには見て学びましょう」
「わからなければ質問しましょう」
「まずは先生の真似をしましょう」
「どうしてわからないの!? どうしてできないの!?」
「だからこうだつってんやろうがあ!」
「じゃあこのくらいで。」
「うまいことやっておいて」
「適当でいいよ」
僕は普通の人ができることができません。
別に誇れることでもなんでもないんですが、時に自分のあまりのできなさに嘆きたくなるときがあり、そういうときの気持ちを言語化しようと思い記事にしています。
僕は見て学ぶということができません。
何回見ても、規則性をつかめない。
何回見ても、それを自分にどう適用すればいいかわからない。
最近このことを痛切に感じたのがゲームのスマブラをやっているときでした。
スマブラが強くなるためにはうまい人の対戦動画を見るといい、と言われています。
何回見てもダメでした。うまいな、すごいなとは思ってもそれをどうまねていいかはわかりません。
他のゲーム、例えばポケモンもそうでした。
ポケモンもうまい人の動画を見ても一向にわかりませんでした。
(もちろんスマブラの動画もポケモンの動画も、動画としては面白かったです。)
じゃあかといって説明されたらできるのか、と言われたらそんなこともないんです。
説明されたら、その説明されたとき(説明された状況の時)はうまくできるんですけれど、それ以外の状況の時に教えられたことを応用することができないんです。
勉強で例えるなら、例題は解けるけど、ちょっと形を変えた問題は軒並みアウトって感じです。
それゆえか「空気を読む」なんてのはもってのほか、「相手の心を察する」なんてのはほんとできないですね。
こういうパターンの時はこう、と覚えていって何とか対応している感じで、少しでも違う状況に出くわすともうわからなくなります。
ここらへんのことは発達障害の影響も大きいでしょうが、僕はもう僕はそういう人間だから仕方ないと半ばあきらめています。
なかなか定型さんには伝わりづらい部分です。
僕はここ最近ようやく「できないことはできない」と割り切ることができてきました。
ずっとできないことに対して「できなきゃだめだ!できないと周りから非難される!できない自分には価値がない!」と思い込んでいました。
自分一人で何でもできなければならない、規則正しい生活ができねばならない、昼夜逆転は治さねばならない、きれいな言葉をつかわなければならない、正しい言葉遣いをしなくちゃいけない(ASDの人はよく自分独自の言葉の使い方をする。それがダメなことだと僕は自分を責めていた)、モヤモヤしてはいけない、、、、
とにかく無数の「すべき思考」で自分を苦しめていました。
当然ですがこのような状態だと生きることがつらくて仕方ないです。
僕はすべき思考に苦しめられていることを一種のアイデンティティとしているところがありました。
俺はこんなに苦しんでいる、俺はこれだけ苦しんでるのに生きているすごいやつなんだ、みたいな感じですね。
僕はこだわりを捨てるよう努めることにしました。
とにかくそのくらいつらかったからです。
できなくても、何もなくても、生きていることは素晴らしいんだなと感じるその瞬間を大切にしました。
自分の人生なのに、なんで自分の手でそうやって苦しめると?もっと自由でよかろーもん。と感じるその瞬間を大切にしました。
僕は今まだまだたくさんの人に依存して生きているので、今の自分ではいけない!と強く思い込んでいるのだと思います。
しかし。今の自分じゃいけない!と思って変わろうと努めてもそれはそれでとても苦しく、そのせいで何度も希死念慮にとらわれたこともあります。
僕は今の自分をそのまま受容することに努めました。
難しいです。怖いです。本当に大変です。
それでも自分を受容し、無理なことは無理、わからないことはわからない、できないことはできない、と受け入れているとほんの少しずつではありますが楽を感じる機会が増えました。
先はまだまだ長いです。
ゆっくりと生きていきます。
今日のブログは以上です^^
今日も皆様の一日が良き日となりますように^^
ではまた!^^