「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

『伝統』についての僕の考え

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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自然の成り行きに任せて

どんな国、地方、地域にもその場所の伝統なるものがあります。

ほかにも家の伝統。学校の伝統、会社の伝統、、と伝統と名がつくものは様々ありますが、今回は日本の伝統、中でも「地域の伝統」に的を絞って自分の考えを書いていきたいと思います。

 

皆様は伝統は残し続けていくべき!と考えていますか?

なにかで見たのですが老若男女問わず伝統は維持していくべき、という考えに賛成の人が多いみたいです。

 

僕の考えは、

「伝統の維持は自然の成り行きに任せればいい。

残るんだったらそれでいい。残らなかってもそれでいい。

無理やりどうこうするものではない」

というものです。

 

僕は現代の「なんとしてでも伝統を維持しつけよう!」という考えには違和感があります。

以下この違和感を感じる理由です。

違和感① 伝統とはそもそも「人間の自然なふるまいの積み重ねのこと」だから

僕は伝統というモノ(概念?)は人間の自然なふるまいの上に、これまた自然とできてくることだと思うんですね。

昔なら昔の伝統が、現代には現代の伝統が、未来には未来の伝統がそれぞれあるんです。

その伝統がいいものなのか、わるいものなのかはその時の判断しだいです。

 

ですので中には当然現代のインターネット社会、グローバル社会の影響を受けて消えゆく伝統も多数あると思います。

それが自然なんです。

その消えゆく自然を無理に残しとどめるというのは僕はすごく無理やりだな、と感じるんです。

 

方言なんかがいい例ですよね。

もちろんいまも地方それぞれに方言はありますが昔に比べると方言の衰退化が半端ないと言われています。

たしかに今は方言の強いと言われる地域で育っても祖父母が何を話しているかわからないって人が結構います。

しかし僕はこれが自然なことなのでこのままでいいと思っています。

そりゃこれだけ遠くの人と連絡が取れるようになり、今や地球の裏側ともつながれる時代に自分の地域にしか通じない言葉を使っていてはとてもじゃないですが大勢との他者とのコミュニケーションは成り立ちません。

他者に通じる言葉を用いる必要があるわけです。

方言の衰退を嘆く声もありますが、僕は嘆くも何もこれが自然なのでは?と感じます。

もちろんこれに関してはここの人それぞれの考え方があると思うので1意見として読んでいただけたらと思います。

違和感② 伝統のおしつけが嫌いだから

もちろんですが、「消えゆくこの伝統が大好きだから、俺はこの伝統を守るんだ!」というのは個人の自由ですから僕がとやかくいうことではありません。

しかしそれを同じ地域に、地方に住んでいるからと言って興味のない人に強要するのは違うと思うんです。

このことは特に日本社会の村意識が強く働いているところでもあると思います。

みんながやっていること、みんながはまっているものにはまらない人はどこかおかしな目で見られる。

これに関しては僕は今すぐにでも変えるべき伝統だと思います。

 

同じ地域に住んでいるって言ったってその地域に住んでるのもいうなれば偶然だし(生まれる場所を選んで生まれるわけじゃないですから)、その地域の伝統をずっと住んでいるからっていってみんながみんな好きになるわけじゃありません。

考えてみればすごく当然のことなのですが、なかなかそうはならないのでつらいところです。

この強要っていうのは何も伝統の維持の話だけではなく、どんなことにもあてはまります。

ひきこもりの人に対してみんな働いているんだからお前も働けという理屈、

不登校の人に対してみんな学校に通っているんだからお前も通えという理屈。

もう一度書きますが「みんなが○○してるから、お前もやれ」という伝統ほど早く無くすべきだと思います。

みんな違って、みんないい、です。

違和感③ 「どんどんグローバルを進める社会」と「伝統を残さなければいけない社会」、すごく矛盾したように感じるから

かたや「変化を恐れるな。変わり続けることが大切」という反面、

「昔からの伝統を変わらずに守りつづけていこう」という。

この2つの矛盾が僕にはどうもしっくりこないんです。

気にしなければすっと飲み込めるものでも、気にし始めたらわからなくなることの例ですで。

 

まあ、この点に関してはまさに世界のカオス性、わからなさを表しているんだなと思っています。

本当にこの世界はわからないことだらけですから。

なんでもかんでもわかろうとするより、わからないことにあふれているとドシっと構えている方がしなやかに生きられると思います。

 

 

以上「なんとしてでも伝統を維持しつけよう!」という考えに対する僕の違和感3つを紹介しました。

ほんと僕は別に学者でも知識人でもなくどこにでもいるパンピーなので、パンピーのひとつの考えとして読んでくださればうれしいです。

「伝統」や「文化」は僕の興味のあるテーマなのでまた取り扱うかと思います^^

 

 

今日のブログは以上です^^

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^