おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
なぜこんなにも不安なのか?
毎日毎日不安だらけの生活をしている人は、現代の日本においてその数はとても多くなると思います。
(世界的にも現代は不安を感じている人は多いかと思います。とはいえ世界の事情についてはほとんど知りませんし、海外ならではの空気感もブログにできるほど知りません。じゃあそんなこと言ったら日本だってひとくくりに「日本の空気」とはできなうはずでは!?となりますが、いつものごとく便宜上そこはスルーしていきます。)
改めてなんでこんなにも不安なんでしょうかね?
皆さんは現在生きていて不安がなくなった、っていう日はありますか?
僕なんてのは毎日毎日来る日も来る日もさまざまな不安を感じ続けています。
タイムリーな話だとやっぱり現在は不安の大きな元凶としては「コロナ」がありますよね。
しかしコロナコロナではありますが、Twitterで「人々の声」なるものをみるとその多くが「コロナよりも人が怖い」といったものがあります。
コロナで感染すること自体よりも感染してそのことが周りに知れ渡って近所の人たちから村八分のような状態にされることを恐れている、といった主旨のことです。
こうなってくるとコロナは言うなれば人を混乱に陥れる媒介みたいなもので、不安の源泉は人そのものになりますね。
確かに2020年においても村八分状態になるというのはとてつもなく不安で怖いことです。
しかし、改めて問うまでもないかもしれませんがあえて問うてみるなら、なぜ人は村八分をするんでしょうか。なぜ村八分をされて死を選んでしまう人のいるんでしょうか。
ここらへんのことを考えると不安の原因が少しわかりそうです。
他にも、別に現在に限ったことではないですが、将来への不安、身体への不安、お金の不安、仕事の不安、家族の不安、などなど本当に不安の種類には事欠きません。
僕の感覚ではありますが、日本人の老若男女のほぼ全員が共有している不安が「みんなの輪から外れる不安」だと感じています。
「コロナで村八分になる不安」もみんなの輪から外れる不安の1種ですよね。
「みんなが~」というときのみんなって誰?
僕もついつい「みんなが~」、「みんなは~」と言ってしまうんですがこういっているときのみんなっていうのは具体的に誰のことを指しているんですかね?
家族?友達?恋人(恋人はみんなとは言わないかもしれないけど)?会社の仲間?地域の共同体?
僕が考える「みんな」というのは
「その時点において、当人にとって関係があり、意識にのぼってきやすく(そこそこの交流がある)、嫌われる(仲間外れ、無視など)とデメリットをこうむると考えている人たち」
なのかなと思います。
深く考えたわけではなく、浅層的に考えただけなのでもっとディテールを見て行けばもっと細かい条件も付くとは思いますが、今の僕の考えはこうです。
どうすれば安心できるのか?
この流れで行くと「仲間外れにされないで、変な人とも思われず、波風立てず生きる」ということが安心ということになるのでしょうか。
しかし当然ですが人間とは常に移ろいゆくものです(この移ろいゆくことそのものが不安の源泉なのかもしれませんね。何一つ確かなものはないという不安。)。
だから、今は仲良くしていても次の瞬間どうなるかはわかりません。
僕も友達だと思って消えていった人が何人もいます。
僕の考えです。
別に「みんなに関する不安」だけじゃなく、将来に関することも、結婚に関することも不安関連ならどれもそうなんですが、絶対的に続く安心というのは存在しないんじゃないかなと思っています。
先ほども書いたようにすべてのことは移ろい変わります。今安心だと思ってもいつ何が起こるかはわかりません。
それでも人間は安心を求めますからあの手この手で安心を得ようとします。
しかし絶対的な安心は手に入れられない。
そこで僕はいつも、「安心不安もない。ただ今できることをただこなす。ただ生きていく。」と自分に言い聞かせています。
安心や不安について考えることをやめることは無理です。
それでも減らすことはできます。
ただ淡々と今できることをこなしていくのです。
これが一番難しいです。
思考の吸引力はすさまじいのですぐに不安にとらわれてしまいます。
だからこそ人生は修行だと思っています。
目の前のことを淡々とやっていくことです。
生きていくことです。
今日のブログは以上です^^
今日も皆様の一日が素敵な日となりますように^^
ではまた!^^
ps1.どうすれば安心できるのか?とか大層な文言を掲げておきながら結局「ただ生きること」ってなんじゃそりゃ!と思われた方もいるかもしれません。
僕自身も思いました。
安心できる方法を具体的に考えていくことは僕はとても大切なことだと思います。
そして安心でできることを考えると、同時に不安の原因も少しずつ見えてくるような気がするんですよ。
今回はブログの締めということで、「ただ生きる」というオチにしましたがこれからも僕は安心と不安、ひいては生きづらさについて考えていきます。
ps2.過去にも「安心」についてブログを書いていますのでよければそちらもぜひ読んでみてください^^