「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

社会とつながるということ~少しでも孤独をなくすために~

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 世間と社会

今回ブログを書くにあたり、鴻上尚史佐藤直樹著『同調圧力~日本社会はなぜ息苦しいのか~』を参考にしています。

まずは日本社会における世間と社会の違いについて本著より引用したいと思います。

少し長いですが大切なことが書かれてあるので引用します。

鴻上:

「世間」というのは現在および将来、自分に関係がある人たちだけで形成される世界のこと。わかりやすく言えば、会社とか学校、隣近所といった、身近な人々によって作られた世界のことです。

そして「社会」というのは現在または将来においてまったく自分と関係のない人たち、例えば同じ電車に乗り合わせた人とか、映画館で隣に座った人など、知らない人たちで形成された世界。つまり「あなたと関係のある人たち」で成り立っているのが世間、「あなたと何も関係ない人たちがいる世界」が社会です。

佐藤:日本人は「世間」に住んでいるけれど、「社会」には住んでいない、ということですね。

鴻上:はい。昔からよく言われますね。エレベーターなどで知らない人と同乗すると、日本人はお互いに何の会話もしないまま、光る数字を見上げているとか。同じ世間の人ではないからですね。

佐藤:欧米の人はホテルの廊下ですれ違った際にも挨拶をしてきますね。

鴻上:なんで僕が「世間」と「社会」の違いを言い続けているかというと、今は「世間」というものが中途半端に壊れてしまっているからなんです。たとえば江戸時代から、それは昭和の終戦前後までは、隣近所とお米とかしょうゆの貸し借りが都会でも当たり前のように行われていました。まだ「世間」が充分に機能していたんですね。「世間」がいわゆる「セーフティネット」の役割を担っていて、同じ「世間」を生きる人も守ってくれていたのです。

ところが「世間」が中途半端に壊れてきた今は結局、守ってくれるものが中途半端なかたちでしか存在しない。だから僕たちがつながらなければいけない、手を伸ばさなければいけないのは、「社会」という自分とは無縁の人たちの世界で、その人たちとどう関係を作っていくか。そこにしか日本の未来はないんじゃないかと思っているんです。

僕も鴻上さんの世間社会の考え方に大賛成の人間です。

現在の日本は世間が中途半端に壊れ、「空気」という存在になっています。

助けてはくれないけれど、とにかく縛りつづけてくる、それが空気です。

 

日本人はとにかく世間という共同体で生活をしてきました。

「ウチソト文化」にもあるように「自分とかかわりのある人以外はどうでもいい」空気が蔓延しているように感じます。

じっさいいじめなんかでの見て見ぬふりや、臭いものには蓋をする、っていうのも世間という自分とは関係のある人達とだけでやってきた悪影響だと思います。

 

しかし現在はもうそんな完璧な世間はないんです。

習慣に従って、世間のルールにしたがっていれば、みんな一緒でいれば大丈夫、という時代では全くなくなっています。

だからこそ鴻上さんは「社会とつながること」を提唱しています。 

世間はもう今ある以上のメリットをほとんどもたらさないのです。

社会と少しずつつながっていく

ここで日本と海外(主に欧米)での恋人の作り方について本著より引用します。

佐藤:(恋人とどこで出会うかという話において)日本では自分の会社で出会うとか、友達の紹介とか、ほとんどそういうものしかなくて、要するに「世間」の内側の話なんですね。ところが海外の人はそうではなくて、銀行のATMで並んでいるときに、たまたま前にいた人と会話をしたことがきっかけで、その人と結婚しましたとか。そうした出会いが普通に存在する。そこに「社会」があるんですよ。日本の場合は「社会」が希薄なので、結局恋人を見つけるのも結婚するきっかけをつかむのも「世間」のなかでしか起きないという問題がある。

日本において道端でばったりとあった見ず知らずの人と友達になったなんて話僕は聴いたことがありません。

まだ電車や飛行機のなかで話しかけてきてくださる人はいますが。

外国を旅して思ったのは、とにかくいろんな人が話しかけてくるんです。

もちろん商売目的のために話しかけてくる人もたくさんいますが、商売目的にしても日本のように不特定多数に向けて声を発しているわけではなくて、ピンポイントに僕に向かって話かけてきてるんです。

多くの声掛けは(言葉がわからんやってってこともありますが)無視していましたが、たまに応じて受け答えなんかしているととても新鮮で面白かったです。

 

だからか一人で外国を周っていてもさほど孤独を感じなかったんですよね。

むしろ違う意味で日本に帰ってきてからの方が孤独を感じました。

僕はここに孤独解消の第一歩があると思っています。

一つ上のトピックでも書いたように「社会とつながっていくこと」です。

つながるだとどうしても友達や知り合いになるというニュアンスが強いので「社会と関わっていく」でも構いません。

 

社会と関わると間違いなく孤独感は減ります。

今の日本、見ず知らずの人とどうやって関わればいいんだ!と思うかもしれませんができることはたくさんあります。

  • 後ろの人のためにドアをささえておく。
  • レジをしてもらったら「ありがとう」とお礼を言う
  • 電車で席を譲る
  • 重たい荷物を持っているご年配の方を手伝ってあげる
  • 家の周りのごみ拾いをする(人目が気になるなら少し遠いところでも)
  • 雪国なら自分以外のところも雪かきをする

などなどできることはいくらでもあります。

こういったことをボランティアサークルなんかに入ってやるのももちろんいいですが、それだとそこでまた「世間」ができてしまって「社会」が遠のいてしまうので、自分一人で始めるのがいいです。

 

僕は今もう自分の知っている人とだけと関わる術しか知らない、というのでは日本は今以上に孤独大国になると思っています。

実際世間の中で息苦しさを感じていたり、居場所がないという人たちはたくさんいます。

自分という存在が社会にとって価値ある存在と思えるためにも僕は社会と少しずつでも関わっていくことを進めます。

僕自身にも。



僕自身がまだまだ「世間の目」という世間のデメリットをガンガンに意識しててなかなか一人で社会と関わりきらない状況です。

勇気もいります。

しかしこの勇気は必ず自分を救ってくれる勇気なんです。

僕も踏み出します。皆さんも踏み出してみませんか?

 

今日のブログは以上です^^

今日も皆様の一日が素敵な日となりますように^^

ではまた!^^