「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

「みんな」を恐れる

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

「みんな言ってるよ」

僕にとってこの言葉の破壊力はすさまじい。

冷静に考えれば、まずその「みんな」というのは誰のことを指しているのかわからないし、仮に何人か候補をあげられたとしてもその全員が全く共通のことを言っているなんてことはほとんど起こりえない。

それなのに「みんな言ってるよ」の言葉を目にしたり、耳にしたりするとたじろいでしまう。

 

面と向かって顔も名前もなにもかもがわかっている人から1回ひどいことを言われるのと、

誰が言ったかはわからないけれど誰かが自分のことをひどく言っている、

では、間違いなく後者の方がダメージはでかい。

 

前者はその場では傷つき嫌な思いはするものの、きちんと誰が言ったとか、どういうことを言われたとかがわかるので余計な心配をする必要がない。

しかし後者はわかってないがゆえに負の想像力(ネガティブイメージ)が活発に活動を始めてしまい、長期間にわたって苦しめられることになる。

「あいつが言ったのかな」「こんなふうに思っているのかな」、考えてもどうしようもないことを永遠と考えてしまう。

自分を一番苦しめるのは自分なのだ。

そしてその自分を苦しめる思考をスタートさせるのに「みんな言ってるよ」はすさまじい効果を発揮するのである。

そして現代のネット時代における匿名性がこの自分を苦しめる思考に拍車をかけている。

SNSで仮に何千人という人に匿名で否定されると、それこそ全人類が自分のことを否定しているかのように感じてしまう。

実際はしょぜん千人単位なんで全くそんなことはないんだけれども、体感としてそう感じてしまい、自分を苦しめる思考は大暴走を起こす。

(話はそれるけれどインターネットの良くないところとして、「それが世界のすべて」と感じられてしまうというところがある。検索という中の小さな条件の中でのことなので余計にそう感じてしまう。)

 

ここ最近前にもましてより一層自分で自分を苦しめる思考をする回数が増えたように感じる。

「なにもしていない自分はダメだ」と責める回数が以前にもまして多くなってきた。

だからこそ8月は頑張った。就労支援も休まず通った。

それはそれでよかった。

しかし人生は長い。そしていろんなことが起きる。

頑張って通えた月もあれば、

その反動か9月は8月と比べて落ち着いている。台風も来て心身ともにやられもした。

するとやはり何もしていない時間ってのが生まれるわけで、そんなときに時間でもあるけん漫画喫茶行くばい~、と漫画喫茶に行く。

そしたらそこで自分を責めるのだ。

俺は何をしているんだ、漫画喫茶なんかに来て漫画読んでいる場合じゃないだろう!プログラミング勉強しろよ!なにやってんだよ!

自責の念は止まらない。

そしてここで「みんな」が出てくる。

「みんな今頑張って働いてるんだぞ!」

みんな頑張って働いているというのに自分は何をやっているんだ、この思考はここまでくると行くところまで行ってしまう。

大体が「自分はもう生きる価値ないな・・・」に行きつく。

 

自分でも馬鹿真面目だなと思うし、もっと気楽に考えたらいいのになと思う。

で、実際その通りなんだ。

ほんとこれ以上の解決策はない。

そんな追い詰めて考えずせっかく漫画喫茶に来たのだから好きな漫画をたらふく読めばいい。

プログラミングはまた就労支援の時にきちんと勉強するから今心配する必要なんかない。

 

それで充分なんだ。

そこに不特定多数の「みんな」を持ち込んで勝手に比較し、勝手に落ち込む必要はどこにもない。どこにもない。どこにもない。

 

「みんな」の声を聴いたり、「みんな」と比較し始めると、冗談抜きで僕は自分の身を滅ばしかねない。

そのくらい「みんな」というのは強敵だ。

姿も形もない。ただの概念なんだ。

概念だからこそ、その概念を支えている自分をとにかく支配しようとする。

たまったもんじゃない。

俺は気楽に漫画が読みたいんだ。

ドラゴンボールを読みたいんだ。

心理バトル系の漫画を読みたいんだ。

 

はい漫画喫茶行ってきます。

今日もよろしく。