おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
「自分は特別だ」という迷信
スターになりたかった。
ずっと「自分は特別」と思っていた。
まわりはそうかもしれないが自分は違う、という気持ちがどこかにあった。
しかし現実はそうではなかった。
ことごとく思い通りにならないことばかり。
僕もご多分に漏れずOne of Themだった。
僕の場合「自分は特別だ」と思ってしまう経緯には「変わり者で輪に入れなかった」という経験が大きく影響している。
変わり者で輪に入れなかったときに、自分は輪に入れないダメなやつと思うとつらすぎるので輪に入れないことに特別な意味を持たせて「俺は周りとは違う特別なやつなんだ。」と思い込むようにした。
実際は、小さな世界の輪に入る、入れないなんて社会からしたらあまりにも小さい。
「自分は特別だ」になるためにも当然努力はしなければならない。
小さな世間の中での変わり者くらいじゃ「特別」にはなれっこないのだ。
何者でもない自分との対峙
大学生が終わり、働くとなったときとんでもない恐怖が襲ってきた。
所属する場所がなくなる、そんな感じの恐怖。
そして自分はこの先何も変わらぬ、みんなと同じ道を進み、死んでいくのか、ということが怖くてしかたなかった。
今も怖い。
今は定職にはついていないけれど、定職に就くとこれからの人生がすべて見通せてしまいそうでものすごく怖くなる。
ワクワクもドキドキもなくなってしまうような感じがして怖いのだ。
それでも、生きていくためにはお金を稼いでご飯を食べていかなければならない。
「桂木大輝」という名前で生きるのではなくて、「どこどこの○○」という風に肩書で生きていかなければならない。
僕という個人ではなく、僕がどれくらい社会にとって生産性のある人間かだけをみられる。
とても怖い。
生きるために食べる
最近世界各地の先住民族についての本を読んでいるからか、生きるためにご飯を食べることのシンプルさに惹かれている。
僕(僕たち)はなんのためにお金を稼ぐのか。
それは第一にご飯を食べるためだ。それが最低限であり、最も大切であり、命にとって欠かせない部分である。
ならお金という媒介を通さなくても直接食べ物をとればそれでいいんじゃないのか。
いわゆる自給自足というか。
先住民族のような暮らしだったら自分は何者か、とか悩まないのかな。
「生きるため」がすべてであり、そこには「なんのために生きるのか」なんてこともきっとないんだろうな。
すべては生きるために行われる。
先住民族の人たちにひきこもりの人はいないという。
なんだかわかる気もする。
スターになるとかならないとかもないんだろう。
今日もよろしく。