「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

別に「名言大喜利」じゃなくていい

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 どこもかしこも「名言」だらけ

SNS(特にTwitter)ではどれだけ短くわかりやすく呟けるかが命とされる。

長いものはそもそも読まれないし、わかりづらいものはもっと敬遠される。

だから「短く、わかりやすく」になる。

そうなると自然とどのtweetも「名言の形」になってくる。

例えば、

「勉強ができる、仕事ができるなんて関係ない。一番大切なのは自分がその人生を楽しめているかどうか。」

「生きている。それだけで価値がある。」

みたいなね。

 

名言っぽくなるのは別にいいけれど、僕はなんだか疲れてきた。

どこもかしこも悪い意味で「言葉に力がありすぎる」。

大体人の目を引くほどの言葉ってそんななかなか出てくるようなものじゃない。

人生も後半に差し掛かり、そこでふっと出た一言や、ずっと何かに打ち込んでいてようやく何か一つのことをつかんだ、こういったときの言葉が名言になるんじゃないだろうか。

いやもちろん言葉を操る天才で名言製造機のような人もなかにはいるかもしれないけれども。

対話をしていこう

名言でのコミュニケーション(言ってしまえばSNSのコミュニケーション)は一方通行だ。

自分がとりあえず不特定多数の誰かにつぶやいて終わり。

そこから気になった人だけが返事をする。

 

僕も人とのコミュニケーションの取り方が一歩通行になりやすい人だ。

だからこそ僕は他者の話をまずは聴いて、そこから自分の話をする、そういう対話ができるようになれればいいなと思っている。

 

名言を言って終わり、じゃなくて

「僕はこう考えるけど、あなたは?」

「私は○○です。」

「なるほどね。君の考えと僕の考えの共通点はどこかな」

みたいなね。

 

最近では街中でいろいろ「対話会」みたなのも開かれている。

実際対話を行う際には進行役兼まとめ役のような人が1人いるとかなりやりやすい。

対話に関する書籍もたくさん販売されている。

対話が広まれば、きっとみんな穏やかになれる。

 

今日もよろしく。