「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

甘える、というのは人生を他人任せにすること

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

「甘え」というのは、僕は「人生を他人任せにすること」だと思う。

他人がいつかなんとかしてくれる。

周りが何もしなくても助けてくれる。

こういった心持を僕は「甘え」と思っている。

 

だから「ひきこもり」とか「働けない」ことが甘えなんじゃない。

自分でそう選択して、そこからどうすればいいかを考えればいいだけだ。

例えば何かしらでひきこもりになったとしても、できることはたくさんある。

資格の勉強をするなり、読書をするなり、動画作成の練習をしてみたりと、できることはいろいろとある。

 

そういったこともせずにただ「誰かがいつか助けてくれるだろう」というのが甘えだと僕は思う。

だから、別にひきこもりとか、発達障害とか関係ない。

できないことはできないでいい。

自分が今できることをこなしていればいい。

どんな状況下でもできることは必ずある。これは僕の信念だから、本当に必ずあるのか証明しろとか言われたらわからないけれど、僕はできることはあると信じている。

 

「助け」を求めるのにも、自分で動かなければいけない。

自分がどうなりたいか、どう助けてほしいかを、役所にでも、知人にでも、病院の先生にでも、SNSにでも、誰にでも、まずは自分の言葉で伝える必要がある。

これもできることの一つだな。

 

もちろんその助けを断られることなんかいくらでもある。

僕も役所にはいくたびに嫌な思いをしている。

それでも行くしかない。なぜならそれが今の僕にできる、やるべきことだから。

 

人生はものすごい当然だけど、基本は「自分でなんとかするしかない」。

助けを求めれば何とかしてくれる人もいるかもしれない。でもそれはラッキーパンチだ。

基本は自分で何とかするしかない。

自分の頭を使って、身体を使って、なんとか生きていくしかない。

なかには周りがなんでもやってくれる恵まれた環境の人もいる。

でも人は人だ。どれだけ羨んだところでその人になれるわけじゃない。

 

人生は、どんなことも、まずは自分でなんとかする。

この心構えがあるかないかだけで生きやすさってのはかなり変わってくると思う。

最近痛切にそう感じている。

泣いているだけじゃ、同情はされても、心配はされても、優しい言葉はかけられても、誰も助けてはくれない。

動かなければ。

 

今日もよろしく。