「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

努力と才能

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 結果を出している人は間違いなく皆努力している

自分にはとてもできないことや、

とんでもないことを成し遂げている人に対して、

ついつい「あの人は才能があるからなあ」と言ってしまう。

 

しかし才能があるかは結果が出るまでわからない。

結果が出れば人々はその人のことを「才能がある」というし、

いつまでたっても結果が出なければその人は「才能がない」となる。

 

そういう意味では才能のあるなしなんて「結果が出るまで続けられたかどうか」にすぎないと僕は思う。

そして結果が出るまで続けることを、僕は「努力」というんだと思う。

才能のあるなしなんて言ってしまえば関係ない

極端な話才能のあるなしなんて関係がない。

結果が出るまで続けられるかどうか、それだけ。

才能を言い訳にやめたりするのは、そもそも最初からそこまでやりたくはなかったことなんだ。

僕もやりたいことをやってみるとすぐに壁にぶち当たる。そして「自分にはやっぱり才能ねえな」とほざく。

しかしやり続けもしないで何がわかるというのか。誰だって最初は大変だ。

そして実際「才能ねえなや~めよ」、というのはどれも「やっぱりやりたくないや、や~めよ」に変換できる。

「やりたいけれど、才能ないから」ってのはあり得ない。

本当にやりたければ才能あるなし関係なくやる。

才能を言い訳にするのはそもそもやりたくないから。

いい意味で踏ん切りがつく

この考え方で自分の行動や、やりたいことを眺めてみると、いい意味で踏ん切りをつけることができる。

実際僕は踏ん切りをつけることができた。

いつまでも「才能がない」を言い訳にしていると、どこかに才能が隠れていていつかそれに巡り合えるかもと変な幻想を抱いていた。

違うんだ。ただ「そんなにやりたくなかっただけ」なんだ。

 

最近ちょっと前はまっていた、プラモデル、ねんど、電子工作などを少しずつまたやり始めている。

ド初心者なのでとにかく失敗をたくさんする。

昔の僕なら「才能ねえな」と言っていただろう。

でも今の僕は「最初なんだから下手で当然。下手でもやりたいから続けよう」に変わっている。

で、ゆっくりだけど作ってみたらちゃんと最後は動いてくれた。よかったよかった。

 

本当にやりたいことは、続いている。

 

今日もよろしく。