「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

自分の心に嘘をつくなというけれど

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 「自分の心」がそもそもわからない

「自分の心に正直にね」

「自分の心に嘘をついてはいけない」

「自分が自分をだましてどうする!」

 

こういう類の言葉はいたるところで発せられている。

僕もいい言葉だなと感じ元気をもらうこともある。

だけれど同時に「自分の心のことなんてわっかんねえよなあ。そもそも自分の心ってどんなんなんだろうな。」とも考えてしまう。

 

自分はこういうことが好きだ、とか

自分は○○だと考えている!、とか

自分はこうなんだ!、と決めたりしても、

なかなかそうはならなかったり、ある時以前なら全然見向きもしなかったものに興味を持ったり、無理だと思っていたことが少しずつやっていくうちにできるようになったり、自分の心の中でわかったことが全然そうじゃないなんてことがいくらでもある。

経験してわかることはとても頼りになる

なにか新しいことを始めるときや、

これからさきをどう生きていいか悩むときなど、

人は自分の心に問へ、という。

でも自分の心が出した答えとは全然違うことをしてもうまくいったり、楽しかったりすることなんてのはいくらでもある。

 

自分の心を過度に指針とするのは控えるのもいいかもしれない。

僕の場合、頼りになるのは「経験」だ。

もちろん経験も、「昨日までそうだからと言って明日がそうなるとは限らない」にもあるようにいつでも万全というわけではもちろんない。

 

経験の中でも特に「自分の考えすぎ」に対してはこの経験が助けになる。

この考え方を以前してつらかったな、とか

このことを以前気にしすぎて心身ともにボロボロになったな、とか

こういう類の経験から「もうこれについて考えるのはやめよう」というふうに類推することはほとんど間違いがなかった。

 

「絶対これで大丈夫」っていう安心材料、あればいいけどないんよな。

 

今日もよろしく。