「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

無能の有能

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

「それ僕がやります。」

実際できた場合周りからはこの人は有能だぞと認識され、今後ともいろいろと期待をされることになる。

 

有能というのは周りからの期待、プレッシャーにこたえられるくらいの強靭なメンタルがある人にはとても居心地のいい状態なんだろうが、僕みたいなめんどくさがり屋からすれば有能というのはとても疲れる。

 

僕が考える有能であるが故の1番のつらさって「自分で自分を必要以上に追い込んでしまうこと」だと思う。

自分は有能なんだからこんなことくらいで逃げちゃだめだ!(某シンジ君)とか、

こんなことができない自分は完璧じゃないからダメだ!とかで、

全くする必要がないのにどんどんと自分で自分を苦しめてしまう。

なかにはこういった自分による苦しめすらも「このくらいの苦しめなんともなかばい」というまさにスーパーサイヤ人みたいな人がいるがそれはまれだろう。

多くの人は自分での苦しめには耐えられずつらい気持ちを味わうことになる。

 

それならいっそ無能でいい。

なにもできなくていい。

自分で自分を苦しめるくらいなら、なにもできず今いるありのままの自分を愛していたい。

もちろん無能を覚悟することは難しい。

今の生産性大国日本では進歩もせず、できないことを放置し、考えることをしない人には手痛いしっぺをくらわせる。

そのしっぺに耐えられるかどうかが、無能でいられるかどうかをわけている。

このしっぺに耐えるコツとしては、考えすぎず今日やることをやってれば自然と耐えられるようになる、と僕は思ってる。

 

無能の有能になります。

今日もよろしく。