おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
一般的に家で一人で誰にも看取られずに死ぬ、孤独死をした場合、死体はそのまま死因を確かめるために解剖台で解剖される。
僕は常日頃から「孤独死しないためにはどうすればいいか」を頭の片隅において生活している。
人見知り、一人暮らしで周りに知り合いはほとんどいない、面と向かってしゃべるのは基本的には就労支援に行った時のみ、恋人もいない、
このままでは孤独死一直線だ。
今年26になる。
26という年齢で「いかに死を迎えるか」を考えている。
理想は家族に看取られて死にたい。最大の理想だ。
たとえそうではなくても、高齢者になったとき地域の集まりの仲間に入れてもらっていたい。
最近あの人見なくなったなと心配してもらえる対象でありたい。
僕は必ずスーパーやコンビニで店員さんにお金を支払った後「ありがとうございます」の1言を言うようにしている。
これを言うだけで自分の孤独が少し和らぐのだ。
日々の生活のほんの少しの行動だけで、自分の孤独をほんの少しは消していけるんだ。
本当は電車で座っているときに、向かい合って座っている人と目が合ったらすぐに目を逸らすんじゃなくて、ニコって微笑み返したい。
中年男性に片足を突っ込もうとしている人が、見知らぬ誰かにニコっと微笑み返すことが「気持ち悪い行動」とされている現代ではとてもできないけれど。
結婚すれば、一応の稼ぎ口が見つかれば、とりあえずは孤独死という不安からは解放されるのかもしれない。
だけどそれは根本の解決じゃない。
いつ離婚するかわからないし、先に奥さんに先立たれるかもしれないし(奥さんに先立たれた男性の末路はとにかく寂しい。その時につながりがあるかないかはまさに生死の分かれ目。)、仕事もいつリストラに会うかわからないし、そもそも定年退職したらその先はどうなるのか。
もっと根本的なことなんだろうと思う。
「孤独とつながり」をまずは考えて、どういうつながりを自分の場合は作っていけばいいかを知り、行動すること。
コミュニケーション力の高い人(特に活発な女性)はここらへんを感覚でやってしまうんだろうけれど、僕は感覚ではとてもしきらんから頭で一つ一つマニュアル操作でやってくしかない。
解剖台にのらないために今できることを。
今日もよろしく。
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