おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
みんな誰しもあるとは思うけれど、「自分だけが他の人とは違ってる」ことが不安になるとき。
ややこしいもので、違っていることがうれしいこともあれば、違っていることが不安になることもある。でも、日本の文化的に違ってることがうれしいってことはあまりないか。
(ちなみにフランスでは、人と違っていないことに病んでしまいメンクリを受診する人たちがいるみたいです。)
この人とは違っているかもという不安を僕なりの言葉で説明するなら、100人の人がいて道の真ん中に分岐点があり99人は右に行ったのに、自分1人だけ真っ暗闇の左の方に行っている感覚。
中学生の時はこのことがあまりにも怖かった。
親に話しても、「?みんなここにいるのになんで一人だけが別の方向に行ってると感じるの?」と言われた。
そこから「他者の心」やらが気になって、心なんて目に見えもしない、わかりもしないものを悶々と考え始めていたからとにかく不安でいっぱいだった。
頭のなかも常にいろいろ悩んでいたからパンパンだった。
「周りとは違う不安」をたくさん悩んできたからこそわかったのは、この不安から抜け出すためには、「今目の前にあることのみに注意を向けること」。
うちの母親が言ったように、「みんなここにいる」んですよ。
それを勝手に自分だけが周りと違うところを歩いている!と思い込んでしまうから不安になる。
目の前に人がいる、そこでいったん思考をストップ。
いちいち自分だけがどうこうとかは考えない。
結局、この不安も僕がよくブログで書いている、「不安は今、ここ、目の前のことに取り組むことによってやり過ごす」方法が一番いいかなと僕は感じています。
不安なんかに負けてられないのです。
今日もよろしく。
ps.もっと具体的な案として、僕の場合だけれど、「周りとは違っているな」と感じることは決して悪いことじゃないと理解するという方法がある。
巷では「人と人は違って当然」とかうたっておきながら、いざ自分事になると違っている自分が不安で不安でたまらないという人はたくさんいる。
だけれど、実際は人と人は違って当然、というか違ってるからこそ他人を他人と呼べるんだ。
自分と仮に全く同じ人がいたらそれは他人ではなく自分だ。
もちろん「違っている」中にも程度のさはあるかもしれない。だから中には自分と趣味嗜好が似ている人と出会えることもあるかもしれない。
しかしこのパターンはあくまでもたまたまであって根本は人と人は絶対に違う存在である。
違って当然。
時には自分の違い方を周りが全く理解してくれないときもある。
それでもその違いかたはあなた独自のものだから、その違いこそがあなたをあなたたらしめている要素なんだ。