おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
この超グローバル化が進む現代において、
ほんとうの意味での地元愛とは、「率先して自分が住んでいる場所以外のことを知ろうと努めて、よそを知ったうえで自分の住んでいる地域のことをよりよくしていこう」という思いだと僕は思ってる。
つねづね思っているんだけれど、「自分は生まれてこの方この場所以外の場所に住んだことがないんです。やっぱり自分の地元が一番ですから^^」という人を見るにつけ、どうしてほかの場所に住んでもいないのに自分が住んでいる場所が一番いいと言えるのだろうかと疑問に思っていた。
全国津々浦々、なんなら海外も見てきたうえで、それでもやっぱり自分の街はいいねというならわかるけれど、ほかの場所を知らない状態だったらそもそも比べる比較対照がないのだから言いも悪いも言えないはずではないのか??
ここで言われている話は「主観のいい」と「客観のいい」の違いなんだろうな。
他に住んだ場所があろうがなかろうが、自分が生まれ育った地元は最高で自分はここに一生住むたい!ってのが「主観のいい」で、
自分の生まれた場所は、○○があって、交通の便もよく、食べ物もおいしく、だからすごくいい街ですってのが「客観のいい」。
多くの人が地元愛を語るときに話しているのが「主観のいい」の方。
自分が生まれた場所で、思い出いっぱいで、友達もいて、家族もいて、そんな地元が大好きです!!みたいなね。
だけれどそもそもが「主観のいい」だからあくまでも主観なのでそのよさは相手には伝わらない。「うん、でもそれ俺には関係ないしな」となる。
よさを相手に伝えるためには当然のことながら「客観のいい」でないといけない。
そして自分が今住んでいる街の「客観のいい」を知るためには、それこそ他の街に旅したり、それこそ短期間でも住んでみたりして自分の街との比較を行わないといけない。
「自然が多くて、温泉があって、食べ物もおいしくて、空気もおいしい、ほんといいところだよ!」
いやいやそんな感じのいいところなら日本中にいくらでもある。
そうではない他の街にはないよさとはなにかを見つけないと。
例えばその土地土地での特産品などがあげられる。(最近はどこもかしこも特産品ブームでそういう意味ではどこも一緒になってきてる気がしてはいる・・)
ないならそれを作り出すのもありだ。
海外なんかだと全然古くからある文化でもなく、急に街一環として街をアート作品のような感じにしてよさを作っているところもある。
世界は本当に広いから自分の住んでいる場所が客観的にみて絶対的に一番ということはない。
ある部分では地元の方がいいかもしれないけれど、またある部分では参考にすべき点が必ずある。
そういう他の場所のことをせず、自分の街だけに閉じこもり「地元さいこー!」って言ってるのは地元愛じゃなくてただのよそを知らない田舎者だと思う。
だから田舎者かどうかが住む場所に関係ない。
東京に住んでいようが、東京23区以外のことほぼ知らないかつ知ろうともしないっていうんじゃそれは田舎者だと思う。
地元愛があるならこそ、ほかの場所に努めて出かけ、ほかの場所のよさを見つけ、そして自分の地元にどうそれらを生かせるかを考える必要があると思う。
今日もよろしく。