「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

「ツッコミ」について

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

お笑いの1手法でもあるツッコミ。

相手がボケたり、おかしなことを言ったら即座にそれを訂正する行為。

関西では日常の会話からボケツッコミがある。

そして今ではテレビの影響もあってか、多くの人がボケツッコミが何たるかを理解しているし、(特に若者の間では)コミュニケーションで実際に使用している。

 

僕の意見。

僕はあまりツッコミという行為が好きではない。

なぜなら「正しさを強要されている」ように感じるから。

もちろんボケツッコミにもいろんなパターンがある。

相手があからさまにボケていて、ツッコミ待ちのようなときはむしろつっこむのが優しさだろう。(もちろんツッコミの程度はあるけれど。)

 

僕が嫌いなのは、自分が何の気なしに言った一言に対し

「それは違うだろ!」、「どういうことだよ(笑)」、「なんでそうなんだよ(笑)!」(一応(笑)とつけていますがツッコミの雰囲気は感じ取ってもらえるかと思います。)

みたいなツッコミだ。

 

僕としては自分がこう思うということを述べただけなのになぜつっこまれなければならない?

なぜつっこまれて笑われなければいけない?

なぜあなたたちの正しさを強要されねばならない?

 

このようなツッコミが飛んでくる背景には暗黙の了解としての「正しさの共有」、「常識の共有」なるものがあって、そこから少しでもズレたと思われる発言をするとツッコミが飛んでくる。

しかしその「正しさ」とはだれにとっての正しさなのか。

 

僕「朝から豆乳飲むのは最高なんよ!」

A「いやお腹いたくなるだろ」

 

この場合Aにとってはそうかもしれない。もっと言うならば科学的なデータで「朝に豆乳を飲むのはよくない」とあってそれを引用してこういったツッコミをしているのかもしれない。

だけどそういうことではなく、「僕が朝豆乳を飲むのが最高と感じている」ってことなんだ。それだけなんだ。

 

科学的に正しい正しくない、常識的に正しい正しくない、僕の発言がズレている、こういった感じのことでツッコミを受けるのは僕はすごく嫌な気分になる。

少し大げさな言い方かもしれないが「多様性がない」

いろんな人がいていい、からは程遠い。

 

アメリカなんかだと、それこそいろんな人種がいるから「もともと人と人は違って当然」って考えが根付いている。

アメリカのホームコメディなんかを見ても相手をきつくつっこむというのは見受けられない。

自分とは違う価値観をもつ他者と接することで、多様性を受け入れられるようになれば寛容になりこういったツッコミも減るんじゃないのかなと素人頭ながらに考えてみた。

 

今日もよろしく。