おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
バス停でバスを待っている。
卒業式があったからかここ最近若い人たちが平日にも関わらず街中でたくさん見かける。
若者の集団を見るたびに僕は自分の自信のなさを痛感させられる。
とくに男女複数人のグループなんか目にすると、羨ましいよりも、男女ともに互いに自信満々なのがすごく伝わってきてそのことで自分がすごく惨めに感じられる。
なんでそんなに自信満々なんだ。
怖くはないのか。「自信満々であること」をつっこまれることを恐れてもいない感じがバシバシと伝わってくる。
このブログでも何回か取り上げているけれど、僕は「自信」なんてものを持ったことはないと思っている。
大体「俺って自信あるのかな」と考えた時点で自信がないことが表れている。自信がある人はこういうことも考えない。
だけど、これまた当然だけど自信なんてあるなしに関わらず生きていかなくちゃいけない。
だから僕は「自信がなくても生きていく」ことを引き受けることにした。
自信なんてなくてもやらなくちゃいけないことはやるしかない。
仕事をすることに自信なんてない。またぶっ倒れるかもしれない。でもやる。
今やっている勉強が本当に実を結ぶかどうか究極の自信はない。でもやる。
このネタがウケるかどうかはわからない。というか十中八九滑る。でもやる。
自信のあるなしを行動の基準に置いてたら僕は何もせず人生を終えてしまう。
それはまさに僕の中で「死」を意味する。
だから生きていくためには自信なんかなくても行動していかなくちゃいけない。
ずっと「自信がない」と思ってるから自信がある状態がどういったものかよくわからない。
だから僕の想像でしかないんだけど、自信があるときは自信なんてものを考えていないときなんだろうな。
「自分はできる!」「自分は絶対大丈夫!」そういう類の言葉なら無理やり自分に言い聞かせたりはしてるけれど、どこか別のところで「そうはいっても無理なときは無理よな」と言ってる自分もいる。
大丈夫かどうかなんて関係なくて、その物事自体に熱中しているときは自分に自信があるかどうかなんて関係ない。ただその行為が楽しいからだ。
仲のいい友達との遊び、ゲームに熱中しているとき、就労支援でのプログラミングに没頭しているとき、楽しいデートができているとき、
こういうときは「自分にできるかどうか」「自分は大丈夫か」どうかなんて考えていない。
だから自信がどうのこうのよりも、先に行動してうまくいけば自信があるし、うまくいかなければ自信がないってことなのか。
いやごめんなさい、僕も何が書きたいかわからなくなりました。
ほんと文章力自信ねえわ。
今日もよろしく。