「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

なぜ方言女子はかわいいと言われるのに、ロシア語女子はかわいいとは言われないのか

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

「方言話す女の子はかわいい!」

僕は全くそうは思わない。ほんとうに全く思わない。

福岡に住んでいるから、福岡の方言を話す女の子をかわいいとは思わない。

世間的には博多弁や大阪弁(京都弁?)なんかを話す女の子はかわいいと言われてるけれど全くそうは感じない。

というかかわいい女の子はかわいい。別に方言話すとかどうとかは関係ない。

 

で、ここでいつも不思議だなと思うのが、

「方言を話す女の子はかわいいと言われるのに、どうして英語やロシア語を話す女の子はかわいいと言われないのか」ってこと。

しかも方言にしても、いつも博多弁や大阪弁で、なんで沖縄弁や東北言葉の女の子は入ってこないのだろうかと疑問に思っていた。

なんならロシア人は美人が多いからそれも相まって「ロシア語女子かわいい!」ともっとなっていいはずなのにそうはならない。

 

ここど僕は一つの暫定的な理由を考えた。

それは「方言をかわいいという人たち」は「自分が理解できる範囲での違いにキュンときている」のではないのだろうか。

現に「かわいい!」と言われている博多弁や大阪弁は誰が聞いても理解できる。

だけど沖縄弁や東北の方言の多くはなかなか県外の人が聞いてすぐに理解できるようなものじゃない。

ロシア語や英語なんかは聞いただけではわからないのは当然のこと、わかるためにはどれなりの勉強をしなければならない。

 

「自分がわかるもの」かつ「自分とは違う何か(自分の住んでいるこことは違うどこか)」の条件をもつ現象(方言)に対して「かわいい!」という感情が湧くんじゃないだろうか。

 

このことは、人間が根に持つ「常に自分とは違う他者を求める精神」、「こことは違うどこかに行きたい精神」を表しているように僕は思う。

どれだけ今いる場所が大好きでも、ほかの場所に旅行に行きたくなる欲望があるのに似ている。

人は常に、外部に新たな何か(誰か、どこか)を求め続ける存在なんだろうな。

だけれど、その何かが遠すぎて自分に理解できないものではだめなんだ。

いい具合に自分に理解できて、他者性(自分とは違う感じ)を感じることができる。

それが「かわいいと言われる方言」なんだろうな。

 

てことは、英語を母語とする人の中には、例えばアメリカで「ミシシッピ弁かわいい~」とかあってるんかな。

日本人の日本語訛りの英語もかわいい~・・・とはならないか。

 

はい、今日もよろしく。