おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
性格というのは形状記憶のようなもので、少しくらいなら外的な力の作用によって変形するかもしれませんが根本は変わらない、そういうものだと僕は考えています。
僕はずっとビビりで、ネガティブで、嫌なことがあると自分を守るために逃げます。
細かいことをねちねちと気にするし、そのせいで親からは「また気にしいが始まった」と何度も嫌味を言われました。
とても人見知りで、初対面の人、そこまで深い関係じゃない人とは全く会話を続けることができません。最近それでも何とか会話を続けようと会話の練習はしていますがなかなかに大変です。
これらはどれも僕の性格です。
だから根本的に変えるのは無理なのです。
ここで理想や規範(こうあるべき)が頭を出してきます。
「堂々としろ」「ビビりな男はモテないぜ」「周りを見ろ。成功している奴は皆堂々として、ポジティブで、明るいやつらばかりだ」などなど。
こういう理想や規範が現実の「ビビりで、卑屈で、ネガティブな僕」を苦しめます。
実際は「ビビりで、卑屈で、ネガティブな僕」であることがつらいんじゃなくて、「そんな僕をダメだと思うこと」がつらいんです。
やっぱり僕も男ですから、堂々として、はきはき話して、明るく振舞って、女性からキャーキャー言われたいし、モテたいです。
そりゃこの競争社会に身を置いているからには何度も上を目指したい!と思いました。
だけれど、そうやって理想を描くことで今の現実の自分の存在がつらくなるなら話は別です。
理想を描くことで死にたくなるなら、現実の自分を明らかに見て受け入れる努力をしたほうが生きやすいです。
「あきらめる」ことは「明らかに見る」からきていると言われますけれども、「あきらめる」という行為はとても難しいです。
男が故の、「モテたい」、「出世したい」、「たくましくなりたい」、などなどの願望の力は強力です。
理想がもつ力も強大です。
だから僕はずっとあきらめる練習、をしています。
一言で書くなら
「手に入らないものを嘆くのではなく、今目の前にあること、いる人、今自分にできること、を大切にする」
ってことです。
心が理想に脅かされたときは、今自分ができることを少しでもやっていくしか、今の僕にはありません。
あきらめる達人に僕はなります。
今日もよろしくお願いします。