「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

他人は変わらない、自分が変われ

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

これを書いているのは26日の金曜日なのですが、明後日の28日に日曜日久しぶりに実家に行き親と会います。

(このブログをあげるのが29日なので、このブログがあがっているころにはもうすでに会った後になりますね。)

 

少し前は親と一緒の空間にいるだけで生物の「逃走ー闘争反応」が引き起こされたような感覚が僕の体の中に駆け巡っていました。

ようやく少しましになり、「実家に行きます」と言えるくらいにはなりました。

そこでいざ実家に行くと、まあ僕は親に「ああしてほしい」、「どうしてそんなことを平気で言えるんだ」、「俺の気持ちをわかってくれないのか」と、声には出さずとも頭のなかであれやこれやと願望を出すわけです。

かつてはこれで数え切れないほど喧嘩、いざこざをやってきました。

 

しかし、人はそう簡単には変わりません。

言ってほしくない!とこちらが思っても(口にしても変わらないんでめったに言いませんが、口にしても)、変わらない人は変わりません。

僕が発達障害であることを省みない発言もバンバンしてきます。

かと思えば僕が話をきいてくれないからと言い拗ねだします。

 

だから僕が親よりも「大人」になるしかないんです。

この場合の「大人」というのは、「自分ではどうにもならない他者をどうにかしようとするのではなく、自分がどうにかできる自分の心に対して対処を施せる人」のことです。

親はいつまでたっても子どもを「(無意識のうちにでも)どうにかしよう」としてきます。

それに対し自分も相手をなんとかしようとすると永遠に終わらない争いが始まってしまいます。

自分が親を「いつまでも変わらない子どもだな」とどこかで(いい意味で)見下し、自分の中の親にああだこうだいいたい気持ちをうまいこと自分の中で処理する。

 

この「自分の中の親にああだこうだいいたい気持ちをうまいこと自分の中で処理する」ってのが言ってしまえばなかなか難しいんですけれど、僕のコツとしてはシンプルですが「本当に言ってほしくないことだけ、落ち着いた声で、ゆっくり、はっきり、伝えること」です。

もちろんあれもこれも言ってほしくないことはあります。

しかしそれを全部言ってしまっては「相手が変わることを期待してしまっている」ので、そうではなく本当に言ってほしくないことを言われたときのみ落ち着いて伝えるんです。

こうすると、相手は変わらないかもしれませんが少なくとも「本当に言われたくないんだな」ということは伝わると思います。

 

自分の中のモヤモヤした部分をどう処理していくかは、人生においてどこまで続く課題の一つだと思うんです。

これから、僕も成長するとともにこの部分を鍛えていければなと思います。

 

はい、ということで、今日もよろしくお願いします。