「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

1人1人のパーソナリティ性を大切に

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

昨日にも書きましたが、僕は社会でいうところの「マイノリティーな性質」をいくつか持っています。

今僕の周りにいる人たちはそのマイノリティー性を責めたり非難したりせず、「僕という人間」として見てくれています。本当に感謝してもしきれません。ありがとうございます。

 

しかし、現代のインターネット社会において悪意ある言葉は簡単に見ることができてしまいます。

僕はこのインターネット上の悪意ある言葉を「顔のない声」と呼んでいます。

誰が言ったかが全く分からないからです。

顔も、声も、名前も、住んでいるところも、人柄も、なにもかもがわからない、ただ言葉だけがそこにある状態です。

 

この声はとても人々を傷つけます。

なぜなら顔が見えない分、自分のなかの想像上でどんどん大きくなっていくからです。

僕が死にたいと強く感じるときの多くがこの「顔のない声」に苦しめられているときです。

 

面と向かって自分のマイノリティー性を否定されることももちろん傷つきます。

傷つきはしますが、面と向かって言われた分言ったのは「目の前のその人」だけです。

だけれど、顔のない声は世界の全人間が悪意をもっているんじゃないかと錯覚させます。

実際世界の全人間が僕のマイノリティー性に対して悪意をもっているわけがないんですけれど、そう感じさせてしまうところが顔のない声の恐ろしいところなんです。

 

そして、顔のない声の大きな特徴は「個々人がもつパーソナリティ性ががっつり無視されている」ということです。

発達障害」といっても、1人1人全く様子、様態は異なります。

「働けない人」といっても、その理由、現在の心境、など全く人によって違います。

それなのに「働けない人」とひとくくりにしてネット上で「働かない奴は甘えだ」と書くのは、完全な偏見、暴論だと僕は思っています。

 

これは僕個人も気を付けていきたいと思っていることですが、こういったマイノリティー性を考える上で大切なのは「今自分の目の前にいる人がどうなのか、その人のパーソナリティ性を意識する」ってことです。

例えばネット上で(この場合もっと枠組みを広くして世間で)「○○なやつはこうだ!」と言われているしましょう。

しかしネットや世間でそういわれているからといって目の前の人がその通りだとはけっして言えないはずです。

ここはすごく大切なことです。

自分の目の前にいる人がどうなのか。僕にとっていい人なのか。

ほんとうはこれだけでいいと思うんです。

自分は全くそうじゃないのに、「○○なやつはこうなんだろ?」とひとくくりにして言われるのはすごくショックです。少なくとも僕はとても傷つきます。

 

顔のない声で苦しんだ時は、僕は自分を大切にしてくれる人を思い出します。

僕という人間のパーソナリティ性を見てくれる、僕という一人の人として見てくれる人たちの言葉を大切にします。

 

生きることは大変です。

だけれど悪いことばかりじゃないなとここ最近ほんのすこし思えたりもしました。

 

今日もよろしくお願いします。