「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

幸せではないが、不幸でもない

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

今毎日の生活はいたって平凡で刺激的なことは皆無で、ご飯も基本自炊で質素なものを食べている。

今の生活は決して「心から満足していて、充実感もあって、毎日新しい刺激に満ち溢れている」という意味での幸せでは決してない。

(家の近くには)友達もいない、彼女もいない、だから男なら当然の欲望として「ああ~彼女ほしいな~」とは思う。思いまくる。

決してリア充なんかじゃない。1年のイベントごともほぼすべてを1人で過ごしている。

 

だけど不幸でもない。

寝る家があり、毎日必ずご飯を食べることができて、毎日通える場所がある。

友達、彼女はいないけれど、相談できる人、毎日の近況を報告できる人ならたくさんいる。

趣味のゲームは楽しいし、読書から得られる知的好奇心がくすぐられるあの快感は最高だ。

決して不幸な生活を送っているとは僕は思わない。

しいて言うなら1人で過ごすほとんどの時間を「ゲーム、映画、YouTube、読書」で過ごしているので、もうすこし目を酷使しない時間のつぶし方があればなあ、とは思っているけれど。

 

不幸ではないのに不幸だと思わせる最も大きな要因は「人との比較」だ。

手っ取り早く幸せを感じたければ人との比較をやめること。

もちろんこの「比較することを前提に回っている社会」の中で比較をしないなんてのは至難の業かもしれないし、実際至難の業だ。

だけどそれでも比較はよくない。

本当に何も利益がない。何もいいことがない。

難しいけれどやるしかないのが、「比較をやめること」かもな。

 

 

今日もよろしく!